:カナリア朗読劇場「日本国憲法」第5シリーズの第4回は、第3章「国民の権利及び義務」から第31条をお届けします。日本国憲法には「何人も」という言葉が頻繁に出て来ますが、これは日本国民は勿論、どんな人も、いかなる人もという意味です。第31条も「何人も」で始まる条文のひとつです。その内容を確認しておきましょう。短い条文に私達にとって非常に大切なことが書かれています。解説は京都法律事務所 弁護士の小笠原伸児さん、朗読はフリーアナウンサーの塩見祐子さん、イラストはかしわぎまきこさん、動画の再生時間は25秒です。
大日本帝国憲法のもとでは、権利の保障と言っても天皇によって恩恵的に与えられた臣民の権利、それも法律の留保が付された権利でした。人が生まれながらに有している天賦の人権(自然権)という性格は否定されていました。とりわけ、身体的自由の保障が極めて不十分で、治安維持法体制下での拷問だとか恣意的な身体拘束といった酷い人権侵害が後を絶ちませんでした。
これに対して日本国憲法は、国家権力によって強制的に国民の生命身体の自由や財産を奪うことのできる刑罰を厳格に抑制しようとして、詳細な規定を設けています。
その総則的な規定である第31条は、刑罰を科するには法律の定める手続によるべしと定めています。ですから、犯罪行為を認定し、刑罰を科する刑事手続は、法律で定めておかなければなりません。しかし、法定しておきさえすればよいというわけではなくて、刑事手続の内容が適正でなければ、第31条の規定の意義も絵に描いた餅になってしまいます。例えば、逮捕したり捜索押収したりするには裁判所の令状が必要であるという令状主義は、適正手続のひとつです。
また、刑罰を科するには、どのような行為が犯罪に該当し、どのような刑罰を科することができるのかについて事前に法律で定めるべしということも、第31条の意義であり、罪刑法定主義と呼ばれる原則です。仮に、国家権力の自由な判断で、それは犯罪だ、それは死刑だと決めつけられるとしたら、私たちは常に怯えて行動しなければならなくなります。
そして、犯罪や刑罰に関する規定の内容も適正でなければなりません。何でもかんでも犯罪とされたら自由な行動の脅威になりますし、些細な行為に対して例えば死刑とか重大な刑罰を科することもやはり生命身体の自由に対する過大な規制になるからです。
適正な手続を求める第31条の趣旨は、例えば税務調査とか、刑事手続きではない行政手続にも及ぶことが最高裁判例の中で認められました。そして、行政手続法によって、国民に不利益な行政処分を課そうとする場合には、事前の告知や聴聞、弁明の機会が保障されることになりました。憲法の規定の趣旨が法律によって具体化された一つのケースですね。
※次回は6月29日(日)に第97条・第12条第一文・前文4項を公開予定です。