今回は防災の話ではなく、成年後見制度に関するお話をしたいと思います。しかし、防災は何も自然災害を対象としたものだけではなく、災いを防いだり、災いから身を護る物であることを考えると、成年後見制度の話も、まったく防災と関係ない者というわけでもないかもしれません。
成年後見制度は、介護保険と同時にスタートしました。2000年から始まっているので、今年で四半世紀が過ぎた、ということになります。しかし、介護保険は広く知られているのに対して、成年後見制度はあまり知られていません。その理由は、まず、介護保険は「保険」という仕組みによって運営されていて、40歳になる医療保険(健康保険)加入者であれば強制的に加入することになり、保険料を払うため、40歳以上の人にとっては誰もが当事者であり得るから身近なものになりやすいのでしょう。一方、成年後見制度は、利用する条件として判断力や理解力などの認知能力が低下した状態であることが必要であるため、誰でも使えるものではない点があるかと思います。
ところで、私は社会福祉士ですが、専門職後見人というと、弁護士さんや司法書士さんのイメージが強いのか、社会福祉士が後見人等を受任していることはご存じない方にしばしば出会います。(もっとも、社会福祉士自体が弁護士や司法書士の資格と比べると知名度が低いのでより一層知られていないのではないかと思いますが。)
一体、社会福祉士後見人がどんなことをしているのか、何か弁護士さんや司法書士さんの後見人とは違う部分があるのか?と思われることもあります。もっとも、訴訟関連の手続きが必要な場合は弁護士さん、不動産登記などが必要な時には司法書士さん、などのように資格を持っていないとできないことがある場合は、それぞれの仕事のイメージは明確になるのでしょうが、社会福祉士は独占的に行える技や領域を持っていません。なので、より一層わかりにくいのではないかと思います。
「社会福祉士」が後見人等を受任することの、ご本人へのメリットがあるとすれば、社会福祉士は意思決定支援を得意としている(はず)ということではないかと思います。ご本人の福祉を向上するために、思いや考えを伺い、今の状況を確認し、ご本人が何をどうしたいかを考えて行くサポートは、対人援助活動の中心です。
先日、私が成年後見制度で支援をしていた方が亡くなりました。就任した時から、すでに5,6年が経ち、身寄りのないご本人にとっては、私は財産を管理し、施設等の契約をするだけではなく、「フルーツが食べたい、さくらんぼがいい」と病院や施設の職員さんを経由して伝言を伝えてこられたり、時には訪問を要望されて今後の話をしたり、施設を一緒に選んだり、病気が進んでしんどくなるたびに荒れるご本人に関して施設側から対応の相談を聞いたりと、限られた時間でしたが、いろんな関りがありました。
意思決定の支援として、どこの施設に申し込むかという選択も、その後のご本人への影響を考えると大きなものでした。しかしそれ以上に、施設で暮らす中で体調には波がありながらも、悪化されていくことと、ご本人の「病院は嫌」という考えと、施設側の介護の対応ができる範囲とで折り合える地点を探すことは、後見人等としても対応が難しく感じるものでした。「病院は嫌」という考えは、私は大いに理解できる気がしています。一方で、適切な療養用の設備がない介護施設では、いざという時にご本人がとても辛い思いをするであろうということは、私の施設勤務経験から想像が出来ました。本人と話し合い、施設と話し合い、施設の看護師と話をし、本人も交えて話をし、施設に来られる医師とも話をし、その都度、「病院は嫌」をできるだけ尊重する選択を支援しました。最期まで施設で介護する、といういわゆる「看取り対応」の話も本人と確認し、その段取りを取りました。ただ、病院が嫌だという意見は、病院が窮屈で退屈だから嫌だという話は何度も聞いていたので、施設にいることで「痛い・苦しい」がひどくなるようだったら、入院して疼痛を和らげてもらう必要はある、という話も並行して行っていました。
ある日、ご本人から呼ばれていくと、「そろそろ病院へ行かないといけないかとおもっている。ちょっと辛くて、しんどいことが増えた」という話を聞きました。今までも、相当辛い時期があったと思うのですが耐えていたのに、改めてそう話されるということは、本当に辛い時が増えてきているのだろうと思いました。その後、施設側と話をし、状況が悪化の兆しを見せたら、病院へつないで欲しいし、その段取りを始めて欲しいと伝えました。
よく聞いた「病院は嫌」という言葉は、振り返ると、「退屈で暇なのは嫌」という意味が多く含まれていたのだと思います。それは、さらに違う言葉で表現するならば「楽しむ自由がないのは嫌」ということだったのではないかと思います。そして、身体への痛みや苦痛は、病院のベッドに寝ていることを強いられるものとはまた別の、自由を奪われるものだったのだろうな、と思うのです。
もっと良い意思決定支援はあったかもしれません。ご本人の本音もわかりません。しかし、私が社会福祉士として高齢者施設の勤務経験があったり、その他いろいろ福祉職としての知識や経験によって、かなりギリギリまで「病院は嫌」に添えたのではないかと思います。もちろん、その意思を尊重して下さった、利用施設のスタッフの方や、受け入れて下さった病院のスタッフの方の理解と協力があってこそです。もっと良いものはあったかもしれないですし、それを今からまだまだ考えないといけませんが、この時期になると、いろんなことがあったなぁ、と思い出します。
身寄りがなくても、何とかなるという点では、成年後見制度の存在意義は大いにあるのではないかと私は思います。財産管理が注目されがちですが、それだけではありません。むしろ、お金や財産は、幸せに生きるために有意義に活用すべきだと私は思います。その、ご本人の幸せとは何か、何を選ぶのが幸せにつながるのか、を考えるのは成年後見制度のもう一つの「身上保護」という取り組みであって、おそらく、社会福祉士は専門職後見人として、身上保護が得意であるべきだと思うのです。私は、そうありたいと思っています。
この時期が過ぎると、梅雨になり、また暑い夏になりそうですね。
梅雨、長雨、大雨への備えをそろそろ考えて行きましょう。
