
私が卒業した小学校のすぐ脇に「鬼塚」があった。
盛り土の上に木が生えて、雑草が茂る。
ただそれだけの場所なんだけど、異様な霊気が漂い、近づいちゃいけないみたいな、そこだけ異世界のような、まさに鬼が棲んでるような、そんな怖い一角だった。
その鬼塚は数年前、「鬼塚公園」という残念な場所に変貌した。
塚部が柵でぐるっと取り囲まれ、球技もでき、防災拠点ともなる、明るいピカピカの公園になったのだ。
『奥戸一丁目鬼塚公園』が完成しました♪
2021年3月28日(日)11時~完成記念式典♪
「鬼塚遺跡」の魅力を活かしつつ、地域の防災活動拠点となる『奥戸一丁目鬼塚公園』♪
私のショックをよそに、区のホームページには嬉しそうに、誰もが嬉しいことのように、公園の完成が音符付きで報告された。
戦果のように。自慢げに。鬼の居場所を分捕り、勝ち誇ってるかのように。

なんだかわからないけど怖い場所。鬱蒼として、何がいるのか見えない場所。
この東京にも、ほんの少しだけ残っているそういう場所が、次々に潰され、なくなっていってる。
土地の有効活用とか、犯罪の温床だとか、なんだかんだ理由をつけて。
たぶんそこは、人間が入る場所じゃないのに。
この世は、人間だけの世じゃない、すべての土地が、人間が使うためにあるわけじゃないのに。
わからないもの。頭で考えても、計算しても、答えが導き出せないもの。
わからないけど事実だけあるもの。わからないけど存在するもの。
ホントはそんなものがいっぱいある。この世のほとんどのことを、誰も本当はわかっていない。
100年前のことも、電車でとなりあった人のことも、明日の天気も。自分自身の気持ちさえも。
だから、わからないものの否定は、自分自身の否定と同じだ。
わかることとわからないことの間の隙間で、私たちは(少なくとも私は)、ほ、と呼吸をして生きている。
そこを埋めたら、息つくところがなくなって、苦しくなる。
鬼。学研漢和大字典には、「大きなまるい頭をして足もとの定かでない亡霊を描いた象形文字。塊、回などと同系のことばで、ぼんやりとまるいかたまりのように見える亡霊のこと。」と説明がある。
ぼんやりと見える定かでないもの。わからないもの。それが「鬼」。
鬼は必ずしも悪者ではない。
ただ、わからないから怖く、そこに近づかない、さわらない、踏みこまない。それがあるまま、わからないままのそれとともに、そのそばで、またはそれを静かに抱えながら暮らす。
それは人間の知恵だと思う。
たぶんそれは、私たちになくてはならない、私たちを守ってくれるものでもあるのだと思う。
鬼塚周辺は1990年から発掘調査が進められ、室町時代に塚ができ、江戸時代にその上に土を盛って作りなおしていることがわかったという。その目的や名前の由来はわかんないらしいけど、学術的に極めて重要な歴史資料として、区の「指定史跡」に指定された。
そして「保存」と称し人間さまの公園内に見世物みたいにさらされて、すっかり「鬼塚」らしさを失った。こんな明るい賑やかな場所に、鬼が棲めるわけがない。
学術的にも意味なしと判断され、破壊・消滅させられるよりはましだったかもしれないけど、もうこれは全然、「鬼塚」じゃない。

2月になっても駅前はイルミネーションが煌々ときらめいている。このあたりで野宿していた人たちは、姿が見えなくなってしまった。
鬱蒼とした危険な場所がなくなりきれいな防災拠点が誕生しても、そのために排除される生きものや、排除される人がいる。
家があっても、居場所がなく、お金もなく、闇バイトに手を染める人があとを絶たない。町はこんなに明るくても、違うところに怖い危険な闇がある。
わが家にも年末来、無言電話、無言チャイム、あやしい工事人訪問が相次いで、家の写真まで撮られてしまった。
怖くなってカギを厳重にかけるようにし、警察にパトロールを強化してもらった。
節分には「鬼は外!」って叫んで豆をまいた。
一体私はなにやってんだろう、て思う。ホントは全然違う、って思う。
それでも怖くて強盗撃退対策は進む。
なにしろ裏も隣りも空家で、その気になればうちへの侵入は簡単なのだ。
土建組合に相談すると、防犯カメラや防犯ガラス、隣家(空家)との間に塀を建てることを提案された。
「安全・安心」を得ようとすればするほど、わが家は「孤立」の方向に進んでゆく。
「石垣」で「城」であるはずの「人」から、離れてゆく。
いつでも110番できるように、毎晩枕元に子機を置いて床につく。
だけど、やってくるかもしれないのは、うまく生きられずどうにもならなくなっちゃった、凶器を持たされた孤独な「鬼」たち。
鬼は必ずしも悪者ではない。寂しいもの同士、友だちになれたらいいんだけど。
一緒にお酒飲んだり、カラオケとか、ピンポンとか。
あ、そこの河川敷で鬼ごっことか!
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