ビートルズ~ホエン・アイム・シックスティフォー

酒田の玉簾の滝。63m。冬は氷瀑する。(撮影:塔嶌麦子)

「ジジィだなんて。まだ若いのに」とよく言われる。おれは若く見られているのかもしれない。
どうせ社交辞令だろうと馬耳東風を決め込んでいるのだが、もし本当なら、おれはガキのままで大人になり切っていないカルイ人間だからなんだろう。
だが、孫達から「ジィジへ」などとつたない字のハガキなどを貰うとウルウルとなる。初めて貰った10何年か前は、「おれはまだジジィなんかじゃない」と、ちょっとした反発と違和感があったものだが。
そうなのだ。孫がいるいないとは関係ない。還暦を過ぎれば皆ジジィなのだ。おれの感覚では、古希ならじいさん、傘寿でおじぃちゃん、卒寿になればおじいさんということになっている。いまでは百寿も珍しいことではない。
おれがもし100歳まで生きるとしたらあと30年もある。昔では考えられないことだ。老いて行く自分を想像するなど大イヤだが、人に迷惑をかけずに生きていけるなら、こんなに嬉しいことはないような気がする。無理なことだが。
2月はおれの父親の命日だ。中3の時だった。猛吹雪に巻き込まれた不慮の事故で、まだ45の若さだった。もう何回忌なのかも忘れてしまっている。すっかり遥か遠い昔の化石のような思い出でしかない。どちらかといえば恐い父だった。今思えば、おれが悪さばかりしていたからだろう。当時はそんな父より絶対長く生きてやると思ったものだが、何のことはない。父の歳などいつの間にか越えていた。「父ちゃん、元気かぁ」。
こうして父のことを思うと、どしても自分のことを振り返ってしまう。おれは良い父親ではなかったと。いつも家にいなかったのは夜勤やらの仕事で仕方なかったにせよ、晩酌となればぶっ潰れてしまうまで飲んだくれていたのだから、だらしがないと思われて当然だ。
そのくせ、時間に対してはうるさかった。どこの家庭も同じだろうが、朝は何かと慌しい。保育園に連れて行く時などのトラブルはごめんだ。一日の始まりは大事なのだ。就寝と起床は徹底した。
こんなことがあった。風呂の時間が遅くなり、突然地震で揺れた。おれは咄嗟に抱きしめてやったが、子どもらは恐がって泣く。あろうことか、なだめるどころか怒鳴りつけたのだった。「だから言っただろ。お風呂は早く入いりなさいって」。後で気付いたが、早く入いれば地震は来ないのか。こんなことは数限りない。
また、皆でどこかへ出掛けると、子どもらはずっと後ろの方にいる。時々見えなくなったりする。おれは歩くのが早いからだ。ま、これ位にしておこう。
おれは酒田に戻り、愕然としてしまったことが一つだけある。これは戻る前から分かっていたことだが、改めて強く感じたことだ。それは、友達が一人もいないのだった。そりゃあ同級生はいる。だが、おれの友達は皆東京などに出ている。つまり、打ち解けて話が出来る人、会いたいと思うやつが一人もいないということだ。これには応えた。きつかった。ガックリとしか言いようがない。
もう過ぎたことだが、東京にいた時は年に1~2度は会っていた昔からの親しい友達が7人も亡くなっている。それも50前後の若さでだ。酒田に戻りお会した高校の担任も「こんな学年はない」とおっしゃり話題の中心となった。同学年で30名近くも他界していたのだ。
しかも、酒田に戻ってからも毎年のように葬儀に参列している。酒田で新しく出会った人よりその数は多い。とにかく、おれの周りの人が次々と亡くなっていくのだ。何なんだよ、これって。人は死に向かって生きている訳ではないだろう。いったい全体、これはおれの運命だとしか思えなくなる。
そんなこともあってか、おれはいつも過去のことばかり思ってしまう。前向きになれない。思考がポジティブではないのだ。
昨年のお盆のこともまるで昨日のことのように思い出す。すっかり大きくなった孫達はこの狭い部屋で大はしゃぎだった。灯籠流しのように皆の顔が次々と浮かんでは遠くへ消えて行く。おれだけが一人残されてしまったような気持ちになる。おれはこうして一人静かに暮らしている。人は一人では生きて行けないのだ。静かになど出来るはずがないではないか。
季節は移ろい、時代は少しずつ変わって行く。立春は過ぎても酒田の春はまだずっと先だ。このままの冬でいい。ストーブの上のやかんがシュンシュンと鳴り、窓は結露で曇り、予期せぬドカ雪になり、吹雪で前が見えなくても何の問題もない。こうしてこたつでぬくぬくと寝転んでいればいい。春など来なくてもいいのだ。
そうだよな。人はいくつになっても人恋しいんだと思う。ジジィになれば尚更だ。そんなジジィのおれの胸に、頬をうずめて泣いた彼女はもう手の届かない所へ行ってしまった。おれは未だに過去を引きずってばかりいる。
今回のタイトルはポールが呑気に歌っている「64歳になったら」にした。
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斎藤典雄
山形県酒田市生まれ。高卒後、75年国鉄入社。新宿駅勤務。主に車掌として中央線を完全制覇。母親認知症患いJR退職。酒田へ戻り、漁師の手伝いをしながら現在に至る。著書に『車掌だけが知っているJRの秘密』(1999、アストラ)『車掌に裁かれるJR::事故続発の原因と背景を現役車掌がえぐる』(2006、アストラ)など。


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