1995年1月17日から30年が経ちました。
私の経験を含めて、これからの災害対応について述べたいと思います。
あの日、私は19歳の大学一年生でした。
神戸市西区の大学キャンパスから西の方へ車で30分ほど離れた隣町に住んでいました。
その日から、後期の期末試験の予定でした。
隣町でも激しい揺れで目覚め、揺れがおさまったあとは、本や食器や水槽が落ちて壊れたことに気が付きました。
あの瞬間、どんな規模で、どこで、地震が起こったのか、だれも分からなかったと思います。
しばらくして、神戸を中心に私が経験したよりももっと激しい揺れがあったことと、それによって高速道路が倒れたこと、その後火災が発生していることを知りました。
当時、父は警察官でした。
揺れがおさまったあとしばらくして、電話がかかりました。
高速道路の倒壊はその時点で伝わり、父はあっという間に職場を目指して家を出ていきました。
本や食器が散らばった家の中で、当時高校生だった妹は父が仕事に行こうとするのを「怖いから家におって」と頼んでいました。
母はどんな顔をしていたのか、覚えていません。
私は、「でも、そういう仕事だしなぁ」と思いながら、いつもどおりヘラヘラとそこにいたとおもいますが、そんな私を見て父は「お前は、意外と肝が据わって怖がらへんのやな。」と言ったことはよく覚えています。
私が住んでいる地域では、周囲に神戸で働く警察官の仲間が何名かいらっしゃいました。
父はその人たちと連れ立って、車に乗り合っていったようです。
あの日、揺れた直後に家を飛び出し仕事に向かった人も多かったでしょう。
そして、心細いながらも、仕事を全うして欲しいと送り出した家族も多くいたでしょう。
時に、行かねばならないこともあるのだと、人の命や生活を守るのはそういう仕事だと、あのとき父から学びました。
先日、当時父が働く警察署が出版した記録を、国会図書館から取り寄せました。
発災後からの100日間の活動が事細かに記された記録には、ところどころに父の名前を見つけることもできましたが、それ以上に、当時のその警察署の仕事が延々と、御遺体を安置し、身元を確認するという作業だったことを、先日知りました。
その後、被災地では避難生活が長く続きました。
その間に私もボランティアに参加しましたが、多くの人がボランティアとして活動しました。
被災地外からだけでなく、被災地内でも、地域の人が、学生が、炊き出しを始め色んなボランティアをしました。
『ボランティア元年』そう呼ばれることになった、1995年のことでした。
2025年1月15日の神戸新聞「正平調」では、神戸大名誉教授の室崎先生の言葉を引用して、市民社会について述べられています。
30年前、それまで気楽な大学生だった私は、いざという時に人々の協力する力のすごさを目の当たりにしました。
当時、「がんばろうや神戸」が合言葉だったとおもいますが、そんな思いの元に、地元の人も周辺の住民も、一生懸命になったのだとおもいます。
おそらくそれを災害ユートピア期と専門家の方は言うのかもしれませんし、それが、人の心理的にそうなる必然があったとしても、いずれにしても、その姿や経験から直感的に人間社会の力強さを感じることができました。
あれから30年。
私は49歳になりました。
生涯現役とはいうものの、体力の衰えを感じ、若い人の元気さを感じ、「老害」などという言葉が他人事ではないと感じるようにもなりました。
まだしばらくは、発災後のボランティアにも入れる体力はあると思いますが、そうでなくなっても、出来ることはあるのだと思います。
防災について求めること、伝えること、当時のことや、その後の経験を伝えることは、生涯現役でできそうです。
もう二度と、地震や洪水が起こらなければいいのに、と願うものの、おそらくその願いが叶い続けることはないのでしょう。
そうであれば、願い行えることは「地震や洪水が起こったときに、人が命を落とすようなことがありませんように」ということです。
30年前、市民社会として、人々は1人ひとりが善意によって集まり、支え合うことができていました。
これから起こるかもしれない自然の猛威に対しても、私たちは集まり支え合い、お互いの身を守ることが、きっと出来るでしょう。
ボランティア元年から30年。
自分にできることしたい、地域のため、社会のために何かしたいと思う気持ちをもつことと、それを少しずつでも行動にしていくことが大切なのだと思います。
神戸新聞「正平調」の中で室過干渉の「ボランティアは押しかけていい。迷惑をかけてもいい。その何倍もいいことをすればいい。(…略)」という言葉が引用されています。
昨今、ボランティアをめぐっていろんな意見があるようですが、それでも、誰一人取り残さない地域社会の実現には、人々の善意による支え合いが必要不可欠なのだとおもいます。
一人ひとりが自分の出来る範囲で、備えていきましょう。
そして、自分ができないことがあることも、知りましょう。
人の力を借りて、人と協力をすれば、出来ることがぐんと広がると考えましょう。
私たちの社会は、私たちが個人個人バラバラで暮らしているのではなく、なんらかにつながり合って支え合ってかかわりあって生きています。
だからこそ、大きな地震や洪水などの脅威があっても、人は滅びずに立て直してきているのだと思います。
今日からまた、ご自身身の回りのさまざまな備えを、続けてください。