ビートルズ~ラヴ・ミー・ドゥ

酒田市内(撮影:塔嶌麦子)

年が明けました。今年も乗り越えます。よろしくお願いいたします。
さて、おれはこれまでのタイトルをビートルズの曲名にして来たのだが、「なんだこりゃ」と思われた方もいたかもしれない。前にも言ったが、おれはビートルズが好きでどうしようもないやつなのだ。
それなのに英語がわからない。何の勉強もしてこなかったから仕方がないのだが、近年のテレビのニュースなどでも横文字が随分多くなり、おれは意味が分からなくなっている。グローバルな世の中もいいが、おれは付いて行けなくなった。
前置きが長くなってしまったが、レコードやCDには対訳が付いている。おれはそれで理解してきた。だから、自分の文章に少しでも合っているような曲名をつけた。そこのところあしからずご容赦下さい。今回はそのビートルズのことを書こうと思う。
ビートルズは解散してもう50年以上が過ぎている。この世にはいないというのに今尚絶大な人気を誇り、衰えることがない。おれには懐かしいとかの感慨は皆とはちょっと違うかもしれない。それは、今でも毎日のように聞き続けていて、記憶が途切れることがないからだと思う。ビートルズの全213曲を聞くのは何日かけても出来ない。なぜって、あまりにも良過ぎて同じ曲を何度も聞いてしまうからだ。
また、ビートルズを語り尽くすなんてことも無理だ。この天才達4人の全容を解明するのは一生かけても不可能なのだ。その証拠に、未だにビートルズ本や研究書、それに止どまらず学術本までが後を絶たずに出版されている。
解散した時はおれはまだ中学生のコゾーだった。大ショックに違いなかったが、気持ちが激しく動揺することはなかった。というのも、ビートルズの4人は既にソロアルバムを出すなどの新しい活動をしていたので、そっちの方に気持ちが移っていたからだと思う。ビートルズはなくなったが、ビートルズは続いていたのだ。
ビートルズの最後のアルバムとなったのは「アビィロード」(69年)だった。メンバー4人が横断歩道を歩いているジャケットの有名なアレだ。「一緒に行こう」というのを酒田弁で「あべぇ」と言う。だから、おれはこのアルバムを「あべぇ道路」と呼んでいる。
ビートルズと出会って以来、ずっとビートルズと共に歩んで来た。まるで、こっちの道を一緒に行こうと言われているかのようだった。また、ビートルズの出身地が英国のリバプールという田舎の港町だった。酒田も港町だし、何だか嬉しくて、そんなことにも一人で得意になったりしていたのだ。
この「アビィロード」の最後の曲は文字通りの「ジ・エンド」というタイトルだった。ビートルズはこうしていつもファンを泣かせる。出来すぎている。それがビートルズでもある。
この曲は、いきなりリンゴ・スターの弾けるようなドラムソロから始まる。そして、「ラヴ・ユー」という張り裂けんばかりの連呼。続いて、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンの3人が1小節毎のギターソロを交替でぶちかます。息をのむようなギターバトルが繰り広げられるのだ。もはや、手に汗握る鳥肌ものだが、歌は「君が受ける愛は、君が与える愛に等しい」、これだけ。なんとなく意味深な内容だが、これでおれのビートルズはあっけない終わりとなる。感涙しかない。
この前に収められた曲は「ゴールデン・スランバー」という、これまた美しいバラードになっている。「かつてはあった、家へ帰る道が、生まれた家への道が」と切々と歌っている。これ程の悲しみに満ち溢れた曲は他にない。まるで「黄金の眠り」につくかのようだ。もうビートルズは終わってしまうのかと思うと目頭が熱くなる。早く次の最後の曲を聞きたい。いや、終わってほしくないという複雑な気持ちで聞いていたのを今でもハッキリと覚えている。そんなビートルズ少年だったのだ。
ビートルズはつまり、「愛」を歌っていたのだと思う。デビューから解散まで一貫していたのが愛だった。愛と平和のメッセンジャーだと言われたジョンは平和の歌も多く作ったが、これらも愛だ。もしジョンが生きていたなら、「平和にヘルメットは必要ない」と言ったに違いない。
ビートルズも青かった青春時代。黄色になったり赤になったりと紆余曲折を経て、結局辿り着いたのは愛だったのだ。人間の普遍的なもの、それは愛だ。
だからビートルズは永遠に不滅で、今尚世界中の大勢の人に愛され歌い継がれている。ビートルズを超えるバンドは未来永劫現れることはない。どんな形容も大袈裟なことはない。ビートルズは世の中を変えた。誰も教えてくれないことを教えてくれたのだと思う。
ビートルズに出会えて今のおれがいる。ビートルズを信じて、ビートルズを夢見て生きて来て本当に良かったと思っている。
今回のタイトルは「ラヴ・ミー・ドゥ」。ビートルズのデビュー曲だ。
—————————————
斎藤典雄
山形県酒田市生まれ。高卒後、75年国鉄入社。新宿駅勤務。主に車掌として中央線を完全制覇。母親認知症患いJR退職。酒田へ戻り、漁師の手伝いをしながら現在に至る。著書に『車掌だけが知っているJRの秘密』(1999、アストラ)『車掌に裁かれるJR::事故続発の原因と背景を現役車掌がえぐる』(2006、アストラ)など。


Warning: Use of undefined constant php - assumed 'php' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/canaria-club/www/wp-content/themes/mh-magazine-lite/content-single.php on line 21

Warning: Use of undefined constant php - assumed 'php' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/canaria-club/www/wp-content/themes/mh-magazine-lite/content-single.php on line 30