12月10日、ノルウェーのオスロ市庁舎でノーベル平和賞授賞式が開かれ、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)を代表して田中熙巳(てるみ)さんが受賞演説を行いました。この演説のなかで田中さんは、事前に予定されていた原稿にない発言を行ったということで、いろいろと話題になりました。なにか問題発言をしたのでしょうか?
田中さんがいわば即興のような形で述べたことはそんなに長いものではありません。「もう一度繰り返します、原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたいというふうに思います」という一文です。「もう一度繰り返します」と断っているように、事新しいことを言ったわけでなく、あくまでもその直前に述べたことを補強したにすぎません。その意味では、なにか不穏当な発言や異様な言動を口にしたわけではありません。
しかし、この「もう一度繰り返します」以下の一文が、絶大な効果を上げたことはまちがいありません。もしこの一言がなければ、そしてそれをメディアが取り上げなければ、わたし自身も田中さんのスピーチをきちんと読もうとはしなかったでしょう。そしてこれは〈世界から核兵器を廃絶しよう〉という理念の表明にすぎまいと高を括っていた気がします。この追加の一文によって、受賞スピーチの印象や趣旨はがらりと変わりました。その部分に留意しながら、改めて田中さんの演説の全文を読んでほしいと思います。
つまり田中さんは、核廃絶の訴えに加え、原爆被害者に対する国家補償の問題を提起したのですね。
そうです。田中さんはスピーチ後のインタビューで、予定外の発言をしたことについて、「ふと衝動的に決めた」と明かしています。「戦争犠牲者に対する国家補償は日本だけでなく国際的な問題でもある」と考え、世界全体で関心をもってほしいとの願いから繰り返したのだそうです(『朝日新聞』2024年12月12日)。
スピーチ後、ネット上では「米国に請求しろ」「平和よりカネか」という批判も出たようですが、そのへんはいかがですか?
まったく短絡的な批判です。田中さんが訴えているメッセージはもっとスケールが大きいものですし、国家のあり方の根底をゆるがせる原理的な問題意識に基づいています。そもそも補償金を求めているのであれば、「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたい」という言い方はしないはずです。死者には補償金は渡せませんから。
では、田中さんが提起している国家補償の問題とは何なのですか?
受賞演説を読み直すと、前半にこう述べられています。「(日本被団協は)二つの基本要求を掲げて運動を展開してまいりました。一つは、日本政府の『戦争の被害は国民が受忍しなければならない』との主張に抗い、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという私たちの運動であります。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない、という運動であります。」
このうち、2つめのほうはわれわれもよく知っているとおりですが、1つめのほうは関係者以外、ほとんどだれも関心をもってこなかったのではないでしょうか。田中さんは今回の演説で、この1番目のほうに重きをおいて世界に訴えかけたのだろうと思います。
つまり「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」という考え方への異議申し立てと捉えていいでしょうか?
そのとおりです。従来わが国では、旧軍人やその遺族に対し恩給が支払われてきましたが、被爆者や空襲で亡くなった人々は対象外とされてきました。戦争という非常時に起こった災厄は、だれかが責めを負うのでなく、国民皆が一緒に耐え忍ばなくてはならないという「戦争被害受忍論」が行き渡っていました。戦争は天災と同じで不可抗力によるものだから、国家は責任を負えないということです。
「国家補償」をするということは、国家責任を認めることと同義です。国家責任を認めることができない以上、日本政府としては「国家補償」はできない、というロジックになるわけです。
ですが日本政府は今までにも被爆者に対し、「原爆医療法」と「原爆特別措置法」という2つの法、それを統合した「被爆者に対する援護法」などを通じて、それなりに手厚いケアをしてきたのではありませんか?
その点についても、田中氏のスピーチを引用してみたいと思います。彼はこう述べています。「1994年12月、この2つの法律を合体した『原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律』が制定されました。しかし、何十万人という死者に対する補償はまったくなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けております。」
そしてこう述べたのち、先ほど引用した即興の部分である「もう一度繰り返します、原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたいというふうに思います」というフレーズが加えられたのです。
要するにこうした立法化は、国家補償でないことが問題だというのですか?法律名も「被爆者に対する援護に関する法律」となっていますが、たしかに「援護」というと、なにか社会福祉の一環のようにも感じられますね。
わたしなりに解釈すると、被団協の思想は以下のように要約できそうです。第一に、戦争は自然災害のような不可抗力の災厄ではない。第二に、戦争は国家の犯罪である。その点に戦勝国や敗戦国の区別はない。そして第三に、その犯罪の犠牲者に対し、国家は償わなくてはならない。
「戦争は政治の継続である」というクラウゼウィッツの言葉を単純に理解し、防衛戦争や自衛戦争を擁護する向きもありますが、理由の如何を問わず、あらゆる戦争は国家による犯罪であること。これを国民共有の思想とすべきことを、田中氏のスピーチからわたしは汲み取りました。
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河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。 同大学院修士課程修了。 専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。 俳人協会会員でもある。 俳句誌「伊吹嶺」主宰。