かわらじ先生の国際講座~「非常戒厳」失敗後の韓国の行方

画像なし12月3日の夜、韓国の尹錫悦大統領が突如「非常戒厳」(以下、戒厳令と略記)を宣布したことにもびっくりしましたが、それに従い、軍が国会に突入したにもかかわらず、国会議員たちは拘束されることもなくあっさり本会議場に集まることができたのにも驚きました。そして出席した議員190名が満場一致で戒厳令解除要求の決議を行うと、発令からわずか約6時間後に尹大統領があっさり解除を発表し、軍を撤収させたことも、何か拍子抜けする幕切れでした。謎や疑問がいくつも渦巻く事件ですが、そもそも内乱や戦争が起こったわけでもないのに、大統領はなぜ戒厳令を敷こうと思ったのでしょう?

わたし自身、韓国の内政がそこまで切迫しているという認識はありませんでした。ですからまさに青天の霹靂という感じで受け止めました。しかし、戒厳令を宣言した大統領の会見の中身を読むと、相当の切迫感があったのも事実でしょう。
尹大統領によれば、(野党)議員たちは政府官僚の弾劾訴追を乱発し、いたずらに予算削減をするなど、政策をことごとく政争の道具としてもてあそび、大統領の国政を妨害しているというのです。「これは韓国の憲政秩序を踏みにじり、憲法と法律によって建てられた正当な国家機関を妨害するもので、内乱を画策する明らかな反国家的行為だ。国会は犯罪者集団の巣窟となり、立法独裁を通じて国家の司法行政システムを麻痺させ、自由民主主義体制の転覆をたくらんでいる」と述べ、その背後に北朝鮮勢力の影響があるとの見方を示し、「私は北朝鮮の共産主義勢力の脅威から韓国を守り、国民の自由と幸福を略奪している悪徳な従北反国家勢力を一挙に粛清し、自由憲法秩序を守るために非常戒厳を宣言する」と国民に訴えたのです。

画像なし尹大統領は戒厳令の宣布が成功すると考えたのでしょうか?

はじめから失敗するとわかっていれば、こんな大胆なことはしなかったでしょう。最高権力の座にある者が、疑心暗鬼と万能感の入り混じった極めて特殊な心理状況のもとで、非合理的な決断を下す事例は政治の世界では決して少なくありません。日本には戒厳令はありませんが、石破首相が「伝家の宝刀」である衆議院の「解散権」を行使し、結果として与党の大敗を招いたのもその一例かもしれません。
4月に韓国で行われた総選挙では野党が勝利し、尹政権は劣勢に立たされ、「レームダック化」(死に体状態)も取りざたされていましたので、大統領としても無力感にさいなまれていたのは確かでしょう。与党「国民の力」の代表である韓東勲氏とも対立を深めていたといいますから、益々孤立感を深めていたものと思われます。新聞報道によれば、今度の戒厳令も側近の金龍顕前国防相と李祥敏行政安全相(いずれも同じ高校出身の同窓生)、そして尹大統領の3名が中心になって画策したといわれます(『京都新聞』2024年12月7日)。ともかく「密室状態」のなかで現実感覚を失い、常軌を逸した心理状態のまま下された異様な戒厳令であったといわざるをえません。
とはいえ、大統領が宣布したわけですから、軍は絶対服従すべきところですが、陸軍特殊戦司令官や特殊部隊などは上層部の命令に従わず、国会議員の逮捕にも踏み切らなかったようです。当人たちもメディアのインタビューで証言しています。そんなニュースに接すると、これを民主主義の成熟というべきか、規律の弱さとみるべきか、判断に迷うところではあります。

画像なし尹大統領は12月7日午前、国民向け談話を発表し、国民に不安と心配をもたらしたことを「深く謝罪」すると表明しました。また、「第2の戒厳のようなことは決してありません」と確約し、「私の任期を含め、今後の政局を安定させる方法は、我々の党に一任します。今後の国政運営は、我々の党と政府が共に責任をもって行っていきます」と述べました(『讀賣新聞』2024年12月8日)。
日本の首相とは違い、韓国の大統領は党ではなく国民によって選ばれるのですから、超党派的存在であるべきで、与党に対しても「我々の党」と呼ぶのはおかしなことだと感じるのですがいかがでしょう?また、深謝すべき過ちを犯したのですから、辞任という責任の取り方もあるかと思いますが、そうしないのはなぜでしょう?

戒厳令の失敗という第一幕のあと、与野党間の権力闘争という第二幕が始まったということでしょう。ここで大統領が辞任するか、弾劾され解任ということになれば、来年の早い時期に大統領選挙が行われます。そうなれば野党代表(「共に民主党」の李在明代表)が選出される可能性は大です。与党「国民の力」としては何としても政権を保持したいところでしょう。
大統領は先の談話で「今後の国政運営は、我々の党と政府が共に責任をもって行っていきます」と述べましたが、おそらく大統領と政府与党の間で何かしらの合意があったものと推測されます。この談話が出たあと、韓国国会で本会議が開かれ、野党6党は尹錫悦大統領の弾劾訴追案の採決に臨みました。しかし、大半の与党議員が議場から退出したため、訴追案は不成立となったのです。野党側は今後も臨時国会を開き、何としても大統領の弾劾訴追案を成立させる構えです。他方、大統領から事実上、全権を委ねられた政府与党としては、「飾り」となった尹大統領を温存させ、少しでも大統領選挙の時期を遅らせて、自らの立場を強化するための策を模索しているのだと思います。
戒厳令が出されたとき、それに断固として異を唱え、街に繰り出し、国会議事堂を取り巻いた市民の姿は英雄的でした。韓国における「草の根」の民主主義をみた思いがします。こうして韓国社会のなかでせっかく民主主義が成熟したのに、政治家たちが権力闘争にかまけ、民主主義を浪費し、それを台無しにしなければいいがと危惧しています。
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河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。 同大学院修士課程修了。 専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。 俳人協会会員でもある。 俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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