すばらしい秋晴れの空が広がっています。このところ、いろいろな用事に追われ、なかなか俳句が作れませんが、それでもこんな陽気だと幸せな気分になります。
○木曽馬のじゃれあふニ頭秋の風 ゆき
【評】涼しげで爽やかな景です。「ゃ」は大きく「や」と表記しましょう。
○擬宝珠花竿燈のごと撓いたり ゆき
【評】ユニークな比喩の句ですね。季語を下五に置くとさらに句が安定するように思います。「竿燈のごと撓ひたり花擬宝珠」。
△~○われひとり子づれの鹿に足すくむ 作好
【評】助けを求めたくても誰もいなくて、さぞ怖かったことでしょう。「足すくむ」と自分自身のことを言わず、あくまで鹿の写生に徹するとより俳句らしくなります。「われ目がけ子づれの鹿の突進す」など。
○~◎秋日和鍬を支柱に腰伸ばし 作好
【評】しっかりとした写生句です。下五は「腰伸ばす」と終止形で収めましょう。
○庭畑に膨らみ増せる秋茄子 美春
【評】中七の「膨らみ増せる」がやや説明調なのが惜しい。一例ですが「庭畑にいよいよ丸く秋なすび」など。
○撥ね払ひ筆先走る葉月かな 美春
【評】「撥ね払ひ」は名詞だと切れてしまいますから、動詞と解します。きっと「八」の字を書いておられるのでしょう。季語との離れ方が絶妙でなかなか面白い句です。
○~◎秋寂ぶや水琴窟の音尖り 妙好
【評】水琴窟の音を「音尖り」と捉えたところがユニーク。その音が寂とした孤独を感じさせたのでしょう。
○月明に包まれほのと蓑虫庵 妙好
【評】「包まれ」が説明的です。こうした動詞は極力省略したいものです。とりあえず「月明に蓑虫庵の壁ほのと」としてみました。
○~◎葭紙に薄きかなもじ秋気満つ 徒歩
【評】わびさびの情調が伝わってくるしみじみとした句です。「葭紙に」か「葭紙の」か迷うところです。「薄き」だと、濃くなるイメージの「満つ」と少し齟齬を生じるかもしれません。一例として「葭紙の薄きかなもじ秋闌くる」と考えてみました。
○ステージの灯り消えたり後の月 徒歩
【評】野外ステージでしょうか。暗くなったステージを月だけが照らしている場面ですね。上五中七が少し散文的でしょうか。季語の力を信じ、灯りが消えていることは言わずに済ませてもいいかもしれません。「空つぽの野外ステージ後の月」など。
◎秋高しレンタバイクで島駆くる 万亀子
【評】一読、気持ちよさが伝わってきました。若々しいバイタリティーも感じさせます。
○山頭火句碑たつ港秋時雨 万亀子
【評】港に山頭火句碑があったのですね。「たつ」が省略できるとさらに良くなりそうです。とりあえず「山頭火句碑が港に秋時雨」としておきます。
○合唱のお揃ひドレス紫苑色 白き花
【評】清楚で爽やかな句です。「バラ色」などもそうですが、色自体は季語となりません。下五を「紫苑晴れ」などとすればよいと思います。
○朝採りの紫苑が塞ぐ洗面台 白き花
【評】「塞ぐ」だと紫苑がなんだか邪魔で迷惑な存在に思えてしまいます。紫苑にもっと愛情を注いで、たとえば「朝採りの紫苑にあふれ洗面台」でどうでしょう。
△~○秋晴れの鉄塔ぢよぢよに山登る 永河
【評】山腹にいくつも建っている鉄塔を擬人化し、徐々に山を登っているようだと捉えたのですね。このままでは通じづらいので、いろいろ考えてみましたが難しいですね。とりあえず「秋嶺をのぼる鉄塔列をなし」としてみました。
○鶏頭の弾力歩幅伸ばしけり 永河
【評】歩幅を伸ばすというのが今一つ分かりづらいように思います。「鶏頭の弾力歩幅広げたる」くらいでどうでしょう。
◎指でひく三味の音色や秋澄めり 瞳
【評】澄んだ音色が聞こえてきそうです。「指でひく」が具体的でいいですね。
○初めての煎茶の点前秋袷 瞳
【評】読者の視線は「点前」にあるので、「秋袷」のほうへ視線をずらす作り方はよくありません。ここは「秋うらら」など時候の季語のほうがいいでしょう。
◎幾度も川底覗く初の鴨 恵子
【評】実際は餌をあさっているのでしょうが、まるで初鴨が好奇心旺盛に川底を探っているようですね。たしかな写生の句です。
○澄む秋の老の涙や平和賞 恵子
【評】単なる喜びではない、万感のこもった涙なのでしょう。ノーベル平和賞を記念しての一句、大切に残してください。
△~○夕陽背に秋風浴びて篠島に 千代
【評】助詞「に」が二つあるために少々調べが悪くなっています。切れを入れ、「秋風や夕日を背なに篠島へ」でどうでしょう。
○新米で小豆粒あんぼた餅に 千代
【評】「粒あん」といえば、「小豆」は省略してもよいでしょう。調理にはうといのですが、「粒あんに新米包みぼた餅に」と考えてみました。
○稲穂垂る南宮大社の神殿は 欅坂
【評】「神殿は」の「は」が気になります。「神殿に」でどうでしょう。
△秋高し国歌に読まれさざれ石 欅坂
【評】君が代にさざれ石が歌われていることは誰でも知っています。作者ならではの発見を句にしてほしいと思います。「秋高し見上ぐるほどのさざれ石」など。
△秋日傘影なき園で孫踊る 久美
【評】「影なき園」が曖昧ですが、公園に影をつくるものが何もないということなのだと察します。あと、俳句では極力「孫」という言葉は使わないようにしたいもの。「まごまご俳句は句を甘ったるくする」として忌み嫌われています。「公園で踊る幼子秋の昼」などいろいろ工夫してください。
○亡父と来た蕎麦屋の庭に小鳥来る 久美
【評】「来た」という口語が気になります。「庭に」の「に」も説明的です。「父と来し蕎麦屋の庭や小鳥来る」「亡き父の好みしそば屋小鳥来る」などご一考ください。
△闇に慣れ星を数ふる暮れの秋 智代
【評】目が闇に慣れてきたということですね。こういう説明は省いてください。また、「数ふる」という自分の動作も省略したいところ。俳句では自分を離れることが大切です。そうすれば客観写生の句が生まれます。「暮れの秋」の「れ」も取ってください(歳時記の見出し語の表記に従う)。「つぎつぎと星の数増え暮の秋」など工夫してほしいと思います。
○おはぎ添へ母とあれこれ秋の朝 智代
【評】「添へ」ということは、お母様は他界されており、お供えをしたということでしょうか。「母とあれこれ」とあるので、お母様はご存命で、一緒にあれこれと作業をしているようにも読めます。たぶん遺影とあれこれ話したと言いたいのだろうと推測します。上五が字余りになりますが「おはぎ供へ母と話せり秋の朝」ならば誤読は避けられます。
次回は11月5日(火)の掲載となります。前日4日の午後6時までにご投句いただけると幸いです。河原地英武
「カナリア俳壇」への投句をお待ちしています。
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