その「伝統」っていつから?-二礼二拍手一礼に感じる危うさ

先日、菅野完さんがこんなXを投稿。

それに対して二礼二拍手一礼は昔からあっただの、うちは昔からそうだっただのといったリプが多数寄せられました。「あったのがいつからか」でなく、「流行し出したのはいつからか」と菅野さんは聞いてます。実は私も気になってました。京都で生まれ育ち、おばあちゃん子だった私は、子供の頃から明治生まれの祖母に連れられて、市内の神社にあちこち連れてってもらいましたが、当時はそんなことする人いなかったんです。たいてい二拍手して拝むだけ。なので私自身は今もそうしてるけど、二礼二拍手一礼する人をよく見かける様になり、更に鳥居を入る前と出た後で一礼する人も増え、特に若い人が積極的にやっている様で、ちょっと不気味だなと思っていました。そりゃ昭和の時代から二礼二拍手一礼や鳥居の所でお辞儀をしていた人もあるでしょう、それは否定しません。でも神社によって色んなお詣りの仕方(菅野さんによると例えば宇佐神宮は二礼四拍手一礼)があるのに、あたかもそれが「正式」のお作法であるかの様に多様性を失わせて、ひとつに統一されること、若い人達が素直に従っていることが気持ち悪いなと。

細木数子がテレビで広めた説、当時の小泉首相の靖国参拝説などがある様ですが、どうも21世紀になってからの様です。文化は時代によって変化するものだし、しきたりが変わることも当然あるだろうけど、よくわからない権威によって人々を従わせようとしてるのではと邪推してしまいます。そして大人の指導で子供達が東本願寺で二礼二拍手一礼していたとの投稿も。いや、さすがにそれは違うだろと・・・。

どうやら二礼二拍手一礼の流行は2005年頃からだと今回知りましたが、日本の凋落が始まったのと重なると感じるのは私だけでしょうか。小泉政権に始まり、安倍政権で顕著になった「自己責任」の新自由主義の台頭、非正規雇用の増加、学術や文化の軽視・・・。劣化の象徴の様な掌を横向きにして万歳する奇異な姿は、気持ち悪くて目をそむけたくなります。

菅野さんは貧乏になると豊かな時代には忘れている二礼二拍手一礼が流行するのだと言います。貧困との関係は私にはよくわかりませんが、この些細な変化に全体主義の静かな浸透を感じています。特攻隊に感謝しろといった戦前回帰や憲法改正への動き(例えば東京都神社庁の憲法改正運動推進宣言)、不正確なものでも主張したもの勝ちの歴史修正主義の台頭、今、日本で起きてることの多くに根底でつながってる気がします。夫婦別姓に反対する人が「日本は昔から夫婦同姓の国だ」と主張するけど、庶民はつい最近まで苗字なんて持ってなかったのに、何言ってんの?と思うわけですが、よく考えると、これまで「日本の伝統」と思ってきたしきたり、文化の類の多くが、明治から始まった比較的新しいものなんですよね。そしてその「伝統」がしばしば政治的に利用されます。それは本当か?と疑ってかからないと日本が間違った方向に導かれそうで、判断力が試されていると思います。最後に菅野さんの二礼二拍手一礼動画をリンクしておきます。気になる表現もありますが、国家神道の価値観を普及する為に出来たのが二礼二拍手一礼、神道には経典(聖典)がない、廃仏毀釈の影響などを解説されていて、興味深いです。(モモ母)


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