かわらじ先生の国際講座~日露関係とアイヌ民族

画像なし近年、とりわけウクライナ戦争開始以来、日露関係の悪化と北海道が結び付けられるケースが増えたように感じるのですが、どうなのでしょう。たとえば、これはもう2年前のことになりますが、ロシアの有力な政治家セルゲイ・ミロノフ氏(下院議員、政党「公正ロシア・正義のために」党首)が「ロシアは北海道に対する全面的な権利を有している」と発言したとかで、わが国のメディアや識者もいろいろ取り上げていました。
それと関係があるのかどうかわかりませんが、今年7月には北海道の千歳基地を拠点に、航空自衛隊がスペインおよびドイツの戦闘機と初の共同訓練を行いました。「自由で開かれたインド太平洋」の実現をめざすことが目的とされましたが、ロシアを仮想敵としていることは明らかで、ロシア政府もこの訓練がロシアの安全を脅かすものだと厳しい抗議を行いました。
また、ロシアとの協定に基づき今年6月に解禁となったコンブ漁が、ロシア側の通告によりストップさせられ、北海道の漁民が困惑しています(先日、鈴木宗男参議院議員が訪露した理由の一つも、コンブ漁再開の陳情を行うことでした)。北方領土の貝殻島灯台を修理する必要上、周辺での日本漁船の操業を停止すると通告してきた由です。


修理といいながら、この灯台にロシア国旗が立てられるなど、不可解なことが起こっているようですが、ともかく操業停止から1ヶ月半近く経ち、ようやくコンブ漁再開の許可がロシア側から伝えられたとのことです。
もうじき、ロシアが「対日戦勝記念日」と定めた9月3日がやってきます。わが国の世論をざわつかせる出来事が起きなければよいがと思いますが、いかがでしょう?

わたしが学生のころ(1980年代前半)は、ソ連軍が北海道に攻めてくるといったセンセーショナルな評論や小説がけっこう本屋に置かれていた記憶がありますが、その時代に戻ろうとしている感があります。
ところで、冒頭に述べられたミロノフ氏の北海道に関する発言について補足しておきたいと思います。同氏の広報用のウェブサイトで、「セルゲイ・ミロノフのプレスセンター」と題するサイトがあり、そこに彼の発言が掲載されています(2022年4月1日付、原文ロシア語)。


その部分を引用してみます。まずこの発言は、日本政府がロシアは北方領土を不法占拠していると非難した上、3月18日にウクライナ侵攻への抗議として制裁に踏み切ったことを受けてのものです。ミロノフ氏は、日本政府が第二次世界大戦の正当な結果を覆し、ロシア領である千島を奪い返そうとするなら、日本側は思わぬ事態を招くかもしれないと警告し、こう続けたのです。「その気になればいかなる国も、隣国に対して領土要求を行うことはできるし、それなりの根拠を見出すことも可能である。今までは日本側が一方的に千島に対する要求を行ってきたが、ある専門家たちの意見によれば、ロシアは北海道に対する全面的な権利を有している。今のところロシア側は、公式のレベルでこの問題を取り上げてはいないが、今後、日本の政策がいかなる対立を招き、ロシア側がどんな対応をとるかは誰にもわからない。日本政府が第二次世界大戦の教訓と関東軍の運命を忘却しないことを望む。さもなければ、われわれがその記憶を新たにしてやらなくてはならなくなるだろう」と。

画像なし恫喝のようで不気味な発言ですが、ここにはロシアが北海道の領有権を主張する根拠は示されていないようですし、それを唱えている専門家たちがだれかも明確にはされていませね。では一体、ミロノフ氏はどのような正当性をもって、北海道はロシア領であると言っているのでしょう?

ミロノフ氏の発言はロシア国内でもけっこう注目されたらしく、「ミロノフ」「北海道」をキーワードとして、ロシアの検索エンジン(ヤンデックス)の検索にかけてみると、いくつも関連記事がヒットしました。その中に「アイヌ」という言葉が散見されるので、気になって調べたところ、興味深い記事が見つかりました。「軍事政治学」というサイトの2023年4月19日付の記事なのですが、「アイヌ人は我らの民族、北海道はロシアの島」と見出しがついており、「科学アカデミー中国・現代アジア研究所」所属の政治学者アントン・ブレジヒン氏のコメントが紹介されています。その概要は以下のようなものです。「ロシア連邦は北海道がロシアの島だと主張せねばならない。なぜならば、北海道の先住民族はアイヌだからだ。そしてアイヌ人は我々の民族なのである。たしかにアイヌ人は現在サハリンと南千島にしか存在していないが、彼らはインドヨーロッパ語系民族である。したがってロシアは、北海道が日本によって不法に占拠された島であると主張すべきである」といった具合です。
ロシアのネットにはそのほかにも同種の記事がいくつも出てきます。アイヌ民族と関連付けながら「日本人にとっては『北方領土』だけでなく日本列島自体が固有の領土ではない」とか、「なぜ日本人は千島の先住民族を消滅させたのか」とか、「アイヌ人は日本列島の古代の住民」とか、「アイヌは日本に生きるロシア人」とかいったタイトルの記事が、すこし検索しただけでも見出せるのです。執筆者の肩書は専門家や作家などですが、サイト自体がかなり偏向していると思われ、その内容もプロパガンダ的な要素が強い印象を受けました。学術的な価値のほうは疑わしい気がします。

画像なしでは、これらの主張はあまり真面目に受け取らなくていいのでしょうか?

そこが難しいところで、たしかに学問的な重みはあまりないにせよ、概して俗説は大衆受けしますから、何かしらの政治宣伝に使われると厄介です。ミロノフ氏のように、一定の影響力がある政治家がこれらの説を援用して「北海道はロシア領」だといえば、世論は信じかねません。
実はロシアでは、ソ連時代以来、国勢調査でもアイヌ人は絶滅した民族とされ、現存する民族の数から除外されていたのです。ところが2018年12月11日、ロシア大統領附属の「社会発展・人権委員会」の会合に出席したプーチン大統領は、委員の代表からアイヌ人をロシアの先住民族として認定してほしいとの要望を受け、「それは全く正しい。彼らはごく少数ながら、ロシアでも日本でも暮らしているのだから」と同意したのです。アイヌ民族は日本にも暮らしている「ロシアの先住民族」だというのです。

画像なしアイヌ民族が政治利用されているようですね。

はい。北方領土問題と無関係とは思えません。北方領土が「日本固有」の領土なら、その領土の住民であるアイヌ人は「ロシアの先住民族」だというわけでしょう。これらの表現は国家のエゴがむき出しであり、そうした言い合いは国家同士の対立しか生みません。ロシアでアイヌ民族が正式に「民族」として承認されたことは喜ぶべきでしょう。わが国でも2019年に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会が実現されるための施策の推進に関する法律」(アイヌ施策推進法)が制定されました。しかしアイヌ民族への関心が、日露両国の対立に結びつくかぎり、アイヌの人々の誇りや尊厳が取り戻されることはないと思います。

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河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。 同大学院修士課程修了。 専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。 俳人協会会員でもある。 俳句誌「伊吹嶺」主宰


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