5月も後半に入りました。今年も、暑い日と寒い日が極端で、身体が疲れやすい時期です。また、この時期は新年度からの緊張やストレスによる精神的な疲れも出やすい時期です。無理せずに、疲れたら休憩しながら過ごしましょう。
さて、先日、1960年代前後の米国の高校生について調べる機会がありました。当時の高校における思春期や青年期と呼ばれる人たちの、人間関係においてどのようなことが重要視され、どのようにクラスの中でグループが形成されるか、という話題です。当然に、1960年前後の高校生の様子というのは、私にとってはよくわからない時代で、外国の話となるとなおさらです。とはいえ、どうやら当時も今の時代の思春期や青年期の人たちの様子や、私自身がそのころだったことから想像できるように、その集団にはその集団による独自の価値観や大切なものがあったようです。つまり、“大人”は学校では勉強することを期待し、真面目に日々を過ごすことを望むことが多そうですが、それに反して、思春期真っ只中の子どもたちは、異性の関心やクラスでの人気を左右することに意識を持ち、大きな努力を払っているということです。大人にとっては、いわゆる、青春を思い起こす感情や要素だといえるかもしれません。もっとも、当時の米国の高校生は、学年によっては車が運転できる年齢に達していて、「車を持っている」「チアリーダーである」ということがステイタスになっているなど、日本の高校生のイメージとは異なる部分もあり、そのあたりは国や地域による差があり、興味深い部分ではあります。
ところで、現代の学校での子どもたちの人間関係は何を重視してどのように作られるのでしょうか。それは、今の大人が子どもだった時代と同じでしょうか。それとも、何かが変わっているのでしょうか。
比べる年代により、感じる差はさまざまかもしれません。戦後直後から現代まで、日本の社会は大きく変化しました。その中で、第3次産業に従事する人が増え、女性の社会進出や進学率の増加があり、核家族の増加や単身世帯が増加し、出生率は減少する一方高齢化率は上がり、また、人口自体は一気に増え、ここ10年以上は減少が続いています。家庭の様子の変化とともに、学校の様子も変わり、当然社会の様子も変わっています。その中で、人間関係の構築と、それに必要なコミュニケーションや価値観の共有状況も変化しているでしょう。
ただ、海外の昔の高校生の生活や価値観について知る中でも、日本の今の思春期のみなさんの状況を見る中でも、その年代の子どもたちには、大人になったら忘れてしまいがちな独特な価値観や大切なものがあり、子どもから大人へ成長する過程の大切な一時期なのだと思います。当然、大人もそれぞれさまざまな思春期を通り過ぎてきています。多様な暮らしと、その中での多様な経験が、今の多様な状態や価値観が存在する状態へつながっているでしょう。
他者を理解することは、もうすでに自分の経験から想像するだけでは、難しいものです。年代を超えるだけでなく、グローバル化が進んだ今では、地域や国を越えて、他の人を理解するには、やはり相手の話を柔軟な姿勢で聞くことが必要です。
全く知らないこと、自分の常識が通用しないとわかっている場面では、人は知ろうとするでしょうし、常識外のことでも、驚きや新鮮な気持ちとともに理解を示すことができるでしょう。多様で変化の速度が激しい現代において、より良い社会と人間関係を築くのにたいせつなことは、他の人に関心を持ち話をすることに尽きると思います。
同様に、自分自身については良く知っているようで、分かっていない部分もあります。未来のことを考えると「今日の自分が一番若い」という考え方ができる、と聞いたことがありますが、しかし、過去に目を向けると「今日の自分が一番年上」とも言えます。今までの若い頃とは異なり、ちょっと疲れに敏感になっているかもしれません。この時期、いろいろな疲れが出やすいですが、自分のことにも関心をもち、心の声に耳を傾け尊重したいものです。