以前から岸田首相は日朝首脳会談の開催に意欲的で、北朝鮮とも水面下でいろいろなやり取りが行われていると聞きました。また北朝鮮側も関心を示し、ひょっとすると近い時期に岸田首相と金正恩総書記による会談が実現する可能性もあるのではないかと思っていました。
ところが3月29日、北朝鮮の崔善姫外相が国営通信を通じて、日本政府に対し極めて厳しい声明を発表しました。すなわち、日本との対話は北朝鮮の関心事ではなく、日本側のいかなる接触の試みも容認しない。拉致問題についても何もしてあげられることはないし、そう努力する義務も意思も全くない、と述べたのです。さらには前日(28日)、在北京日本大使館の関係者が北朝鮮の大使館員宛にメールを寄越し、接触しようとしてきたことまで暴露しました。
北朝鮮政府はなぜわが国に対し、こんなに高圧的でヒステリックな反応を見せたのでしょう?日本側が何か反発をかうような行動をとったせいなのでしょうか?
実はその辺がわたしにもよくわかりません。ただ、崔外相の発言は、その3日前の3月26日、金正恩総書記の実妹である金与正氏(朝鮮労働党副部長)が「日本側とのいかなる接触や交渉も無視し、拒否する」と述べたことを公式的に繰り返したにすぎません。日本との交渉事については、金与正副部長が金正恩総書記の意を体し、ある程度イニシアチブをとっているように見受けられます。
まずは金正恩総書記が日本との交渉に関心を示し、その意向に従い、金与生氏が2月から3月にかけて日本にメッセージを送ってきたような印象を受けるのです。
そのあたりをもう少し具体的に説明してもらえますか?
今年元日に能登半島地震が起こると、5日に金正恩氏から岸田首相宛に電報が届けられたことはニュースにもなりました。各種報道によれば「年の初めから多くの人命被害があったという知らせに接し」、「遺族と被害者に深い同情と哀悼の意」を表明するとともに「被災者たちが一日も早く立ち直り、安定した生活を取り戻すことを願う」という文面だったそうですが、金氏自らがわが国に電報を送るのは極めて異例なことでした。ちなみに阪神・淡路大震災のときは総書記でなく首相が、東日本大震災のときは朝鮮赤十字会委員長が見舞いの電報を送ったとのことです。こうしたことは偶然でなく、政治的な意図が込められていると考えるべきでしょう。金政権が日本に歩み寄る姿勢を見せたと解釈できます。
そして2月15日、金与生氏が談話を発表し、あくまでも個人の見解としながらも、岸田首相が平壌を訪れる日が来るかもしれないとの展望を語ったのです。その約1週間前の9日、岸田首相が国会衆議院の予算委員会で、日朝交渉のあり方を大胆に変えていかなくてはならないと述べたことを受けての談話だったと思われます。
3月25日、金与生氏は新たな談話を発表し、日本側ができるだけ早期に首脳会談を行いたいとの意向を伝えてきたことを明らかにし、そのためには日本側の政治的決断が必要であり、拉致問題で譲歩すべきことを迫ったのです。
これに対し同日、林官房長官が記者会見で「拉致問題は解決済みとの主張は全く受け入れられない」と主張しました。日本側としては当然の反論でしたが、おそらくこれが北朝鮮側の意に反したのでしょう、翌26日、金与生氏は改めて談話を発表し、先述したように、「日本側とのいかなる接触や交渉も無視し、拒否する」という激しき言葉を日本側に投げてきたのでした。
これは北朝鮮側の「ファイナル・アンサー」なのでしょうか?そして日朝首脳会談の試みは水泡に帰したとみるべきでしょうか?
非常に難しいところです。結局は首脳会談に向けての努力が、日本と北朝鮮の双方にとってどんなメリットがあるかという問題になると思います。
まず日本側について言えば、日朝関係の打開は岸田首相の公約でもあります。岸田氏は「条件を付けずに」金正恩氏と直接向き合う決意をたびたび表明していますが、昨年10月23日の衆参両院での所信表明演説では、両国関係を「新たなステージに引き上げるため、私直轄のハイレベルでの協議を進めていく」と言明しました。首相のこうした決意は、第一に、拉致被害者家族が高齢になり、持ち時間があまりなくなってきたこと(岸田氏は「時間的制約のある拉致問題」と表現しています)、第二に、国内的に支持率が低迷し、党内的にも指導力が疑問視されるなかで、日朝関係の打開を政権浮揚につなげたいという思惑などがからんでいると想像されます。
とはいえ、対北朝鮮関係は国際的な影響力のあるイシューです。第一、日朝接近は日米韓の結束を乱すリスクがあります。こんな大胆な外交転換を日本政府が単独で進めているとは思えません。必ず背後には米国政府の後押しもしくは了解があるはずです。米国が日本を使って北朝鮮に何を求めているのかというのはまた別に考えるべき問題ですが……。
日朝関係の改善は北朝鮮にとってはいかなるメリットがあるのでしょう?
拉致や核・ミサイル開発問題で譲歩を示せば、日本が現在とっている輸出入禁止措置を解いてもらえるでしょう。ですが、それはメインの目標ではないと思います。北朝鮮はもっと大きな観点から政治を行っています。つまり北朝鮮が最も関心をもっているのは対米関係です。
今年1月15日、金正恩氏は最高人民会議で施政演説を行い、韓国を「第1の敵対国」と位置づけるべきだと論じました。、今年になって北朝鮮は、韓国には徹底した敵対姿勢を示す一方で、日本に対しては融和的態度を見せるようになったのです。こうして日米韓の連携にゆさぶりをかけ、米国の反応を見ようとしているのかもしれません。特に米国は今秋、大統領選挙が行われます。バイデン政権の継続か、はたまたトランプ政権の復活か、予断を許さないところですが、場合によっては対米関係を刷新することまで考えたうえで、まずは日本を動かそうとしている、あるいは日朝関係の改善を対米関係進展のワンステップにしようとしている、というふうにも思われます。
とすれば、「日本側とのいかなる接触や交渉も無視し、拒否する」という金与生氏の言辞は外交交渉における駆け引きの一つであって、まだいくつもの曲折がありそうです。
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