かわらじ先生の国際講座~玉城沖縄知事の訪中を振り返る

去る7月3~7日、沖縄の玉城デニー知事が日本国際貿易促進協会(団長は元衆院議長の河野洋平会長)の一員として訪中しました。
中国軍の海洋進出や台湾有事への懸念、尖閣諸島をめぐる緊張など、厳しい東アジア情勢下で、先島諸島におけるミサイル基地化が進むなど、沖縄は対中封じ込め戦略の最前線に立たされています。その首長が中国を訪問することの意味は何だったのでしょうか?

まず日本国際貿易促進協会について言えば、中国との貿易拡大や日本企業の中国進出を支援するため1954年に設立された日中友好団体の1つです。協会代表団の訪中は1970年代から行われています。ただ、新型コロナウイルス禍拡大のせいでしばらく中断していましたので、2019年4月以来の訪中となりました。
両国の経済交流の促進が目的ですので、政治問題が俎上にのぼることはありませんでした。玉城知事も帰国後の記者会見で、地域外交を通じて国と国との外交をサポートしていきたいと述べ、メインテーマは経済や観光であって、尖閣諸島問題に触れることはなかったと明言しています。次は台湾訪問も鋭意検討していきたいと付言しています。玉城知事なりのバランス外交なのでしょう。

現地における知事の発言次第では、日本の国益が損なわれることもあり得ると懸念する声も政界の一部にはありましたが、結果的には中国が玉城知事の訪中を政治利用することはなかったと見てよいですか?

そうとは言い切れません。訪中団との会談には、習近平氏の最側近で中国共産党ナンバー2の李強首相が出席しました。これはかなりの厚遇です。李首相の左右に河野氏と玉城氏を立たせての3人の記念写真をみると、玉城氏に対する意識的な重視もうかがわれます。本当の主賓は玉城知事だったとの見方さえあります(「日経速報ニュースアーカイブ」7月12日、中沢克二編集委員記事)。
玉城知事は7月4日、明・清の時代に琉球から来て客死した使節らを埋葬したとされる琉球国墓地跡(北京)を訪問しました。また6日には、福建省の福州市に入り、ここでも琉球墓園を訪れ、その後、歴史的に貿易の拠点だった琉球館を訪問し、福建省トップの党書記と会談を行っています。

玉城知事の今回の訪中では、「琉球」がキーワードとなっているようにも感じられますがどうですか?

そのとおりです。知事自身も記者会見のなかで「琉球王国と福建省の強い絆」に言及し、地域間交流の重要性を語っていますが、中国側は国政レベルで「琉球」を取り上げ、この10年来、政治カードの1つとして用いているふしがあります。

10年来とはどういうことでしょう?

10年前の2013年5月8日付『人民日報』(中国共産党の機関誌)が「馬関条約と釣魚島問題を論じる」と題する論文を掲載したのです。中国語で「馬関条約」は日清戦争の講和条約である下関条約のこと、そして「釣魚島」は尖閣諸島のことです。その内容をかいつまんで言いますと、日本は下関条約調印の際、台湾と付属の島々(尖閣も含まれます)、さらには琉球をも奪ったのであって、琉球の帰属問題も歴史的に未解決であり、それを議論すべき時期が来たというものです。中国に琉球(現在の沖縄)の領有権があることを示唆する論文で、当時わが国の菅官房長官は「沖縄は歴史的にも国際的にもわが国の領土であることは紛れもない」と強く抗議しました。この論文が書かれた背景には、前年9月の日本による尖閣諸島国有化への反発と、中国で急速に高まっていた反日気運、そして第2次安倍内閣への揺さぶりなどがあったと思われます。

今日の習近平主席も同じような立場をとっているのでしょうか?

その点については、6月4日付『人民日報』が第Ⅰ面で、注目すべき記事を掲載しました。習近平氏が、中国の古文書を収集保管している史料館(国家版本館)を視察し、明代の釣魚島に関する説明を受け、「(福建省の)福州で勤務していた際、琉球との交流の根源が深いと知った」と述べたというのです(『讀賣新聞』2023年6月10日)。なお、習氏が公の場で「琉球」発言をしたのは、国家主席就任後初とのことです。
同氏は1990~2002年まで福建省福州市におり、福州市のトップ、そして福建省のナンバー2である省長を務めた経験がありますので、福建省と沖縄の交流事業にもいろいろかかわってきたものと思われます。しかし今日、このタイミングで、あえて「琉球」という歴史的呼称を用い、『人民日報』に大きく掲載させたのは意図があってのことでしょう。日本側が中国の内政である台湾に関与すれば、再び(2013年時と同様)沖縄の帰属問題を蒸し返すぞという脅しともとれますし、玉城沖縄知事の訪中を控えて、何かしらのゆさぶりをかけたとも考えられます。

複雑混沌とした日中関係は、「琉球問題」という新たな難題も抱え込んだということでしょうか?

難題というほど心配することはないと思います。琉球王国が中華文化圏の影響下にあったのはたしかですし、歴史を深く学ぶことは大切です。そうすれば、かつての中華帝国が(その気になればできたかもしれないのに)琉球王国を滅ぼし併合することはついになかったことがわかります。むしろ朝貢関係を結びながら共に繁栄する道を選んだわけで、ある意味ではこれからの沖縄と中国の関係モデルともなり得るものです。琉球王国には軍隊がなかったといわれます。江戸時代まで日中のはざまで、貿易拠点として自立と繁栄を享受してきました。ここが軍事対立の最前線に立ってしまったのは、長い歴史の目でみれば、わりと新しい現象なのです。
沖縄がかつて中国領土の一部だったなどと信じる沖縄県民はまずいないでしょう。また、中国が本気で沖縄を併合しようと企んでいると考えるのも荒唐無稽です。それよりわたしは玉城知事に、ぜひ台湾訪問を早期に実現してほしいと望んでいます。
中国軍による台湾侵攻を未然に防げるのは台湾市民だと思います。彼らが中国軍の侵入を誘発しないかぎり中国軍は入ってこられません。ロシアのウクライナ侵略を見よ、という人々もいるでしょう。しかしあれも、ウクライナ東部のドンバス地域の人々のロシア軍待望論がなければ、食い止められたのです。軍事紛争になれば一番の被害者となる「地域」が、国家の介入を招かぬよう知恵を働かせなくてはなりません。台湾という「地域」と、沖縄という「地域」が、自らの運命を国家の庇護に求めるのではなく、地域間同士で連携し、国家が付け入る隙を与えないような策を講じることが今求められているのではないか。わたしはそのように思います。
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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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