昨日(5月9日)はロシアの対独戦勝記念日でした。プーチン大統領がウクライナに対し正式な宣戦布告を行うのではないかとの予測もありましたが、演説のなかにはそのような言辞はありませんでした。戦勝を祝うより、むしろ戦没者(現在のウクライナ戦争を含め)の鎮魂に重きが置かれた式典との印象を受けましたが、いかがでしょう?
はい。天候はそう悪くもなく青空も出ていましたし、木々の若葉も眩しい季節でしたが、テレビの実況放送からは何か寒々とした雰囲気が伝わってきました。プーチン氏の表情も精彩を欠き、沈鬱な印象を受けました。言外に戦況の悪化を物語っているのかもしれません。しかしプーチン政権が戦争の幕引きを図ろうとしているかといえば、それは違うように感じます。祖国を守るという大義のために、国民を動員するための政策が着々と進められているからです。
その具体例をあげてもらえますか?
第一に、青少年に対する戦意発揚政策です。次のサイトをご覧ください。子供たちがロシア軍勝利を象徴する「Z」マークを掲げパフォーマンスする様を伝えています。
これを報じているのは「ナヴァリヌィ・ライブ」という反政権の独立系メディアです。ロシア当局は現在、学校のみならず保育園でもこうした「愛国教育」を押しつけているとか。語り手のリュボーフィ・ソーボリさん(ロシアの法律家、社会活動家)は、これは子供だけでなく教師や親に対する人権侵害でもあると訴え、抗議運動を呼びかけています。
さらに見過ごせないのは、ロシア政府が組織的に軍国教育を行っていることです。
どのようなものですか?
最近、日本のメディアでも注目されていますが、「ユナルミヤ」という8歳~18歳の男女を対象とした軍事組織で、ナチスドイツの「ヒトラーユーゲント」(ヒトラー青少年団)との類似も指摘されています。
関心のある向きのために公式ウェブサイト(ロシア語版)を紹介しておきます。
「ユナルミヤ」という命名の由来は記されていませんが、ちょっとロシア語をかじった者ならその語源はすぐわかります。すなわち「若い、若者の」という形容詞「ユーヌィ」(юный)と軍隊を意味する「アールミヤ」(армия)の合成語(юнармия)です。文字通り「青少年軍」です。2016年、ショイグ国防相のイニシアチブで創設され、すでに100万人以上の登録者がいる由で、様々な軍事教練や競技に参加することができ、子供たちの競争心を刺激するためか、内部には独自の階級もあるようです。ウェブサイトもテレビゲーム世代の子供たちが喜びそうなアニメタッチになっており、加入方法なども記されています。
成人に対してはどうですか?
これに関しては前週にも記しましたが、政治と宗教の一体化が顕著です。ロシア正教がプーチン政権の路線を正当化し、国民を「愛国主義」へと導く役割を果しているのです。政教が一致してウクライナへの侵略を推進している感があります。正教を信奉する大半の国民もそれに異を唱えず黙従しているわけです。
さらには軍と宗教の一体化も強まっています。対独戦勝75周年の2020年、モスクワ郊外に壮大なロシア軍主聖堂が完成しました。
国威発揚のための大掛かりな装置といっていいでしょう。当初はプーチン大統領やショイグ国防相など現政権の主要メンバー、さらにはスターリン元帥のモザイク画まで展示される予定でしたが、世論を考慮し、現在は撤去されているようです。しかし状況次第で復活する可能性があると思います。
今のロシアの異様さを示すもう一つのニュースを紹介しておきます。ロシア国営通信社「RIAノーボスチ」によれば、ウクライナ軍は「黒魔術」を使っているらしいというのです。
こんなおとぎ話のようなことを国営通信社が報道すること自体、ロシア政権が末期状態に近づきつつあることの証左でしょう。戦争がどれほど社会をグロテスクなものに変質させていくのかをわれわれはロシアを通じて目の当たりにしているわけですが、戦時中の日本も同様であったことを付言しておきたいと思います。
しかし今日の日本は違うでしょう?
ここまで書いてきてこんなことを言うのもなんですが、実はわたしが本当に紹介したかったのは、このような情勢下にあっても「殺すなかれ」と唱え続けているロシアの聖職者がいることです。
上の動画のなかでイオアン・ブルディン司祭は、「『汝殺すなかれ』という聖書の戒めは、私にとって他と同様に無条件のものなのです。どうゆがめられようとも、どう矮小化されようとも、他の解釈はありません。起きていることに対する責任は、命令を下した者や殺し傷つけた者だけが負うのではなく、沈黙し黙認し続けたすべての人が負うのです」と語っています。「汝殺すなかれ」--この言葉の強さにわたしは心打たれました。われわれカナリナ倶楽部の標語にしたいくらいだと思いました。これはプーチンのロシアだけに向けられたものではありません。ゼレンスキーのウクライナにも、そしてNATO諸国にも向けられています。そしてわれわれ日本国民に対しても。
「殺す」理由なら無数にあります。敵が日本を攻撃しようとしている以上、われわれが「反撃能力」を持つべきだというのもその一つ。「反撃」も「殺す」ことです。他方、「殺すなかれ」は一義的であって、他の解釈を許す余地はありません。
昨今の日本では、だれもが軍事評論家になってしまい、平気で敵を殺傷する能力を高めねばと唱えるようになっています。
国民が発すべき言葉は「殺すなかれ」。この一語で十分なのです。為政者が何を提起しようとも、われわれは「殺すなかれ」と言い返すべきなのです。ブルディン司祭が述べるとおり、この言葉は無条件であって、他の解釈はありません。
国民の声を明文化したものが憲法です。無条件に「殺すなかれ」と唱える現行の日本国憲法をわたしは誇りに思っています。
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河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもある。俳句誌「伊吹嶺」主宰。