9月16日、中国が「環太平洋経済連携協定」(TPP)への加盟を正式に申請しました。習近平国家主席は昨年11月、APEC首脳会議(オンライン)でTPPへの加入意欲を示していましたが、実際にこのタイミングで申請したことに関しては、わが国の通商関係者の間でも驚きが広がったそうです。中国は申請が受理されるだけの条件を整えたということなのでしょうか?
条件を整えたとはいえません。TPP加入の条件は非常に厳しく、今のままでは中国の受入れは困難です。第一に、中国は国営企業に補助金を投じるなど優遇措置を講じていますが、これをやめなくてはなりません。第二に、ビジネスにおけるデータの自由な移動を認めなくてはなりませんが、中国は安全保障を理由に国内法でそれを制限しています。第三に、外国企業と国内企業の間の差別を撤廃する必要がありますが、中国はITや医療関連の製品は国産品を調達すべしと指示しています。第四に、中国では知的財産権の侵害が多発しており国際問題となっています。その取り締まりは今のままでは不十分です。第五に、強制労働の禁止や団体交渉権の保証など、労働者の地位が認められなくてはなりませんが、ウイグル民族への抑圧など深刻な課題を抱えています。これらの問題に対する解決策を示さない限り、TPP加入の条件はクリアできません。
では、門前払いを承知で申請したということでしょうか?
必ずしもそうとは言えません。たとえば自民党幹事長代行の野田聖子氏は、党総裁選の共同記者会見で、「前向きに検討すべきだ」と述べています。
大阪商工会議所の尾崎裕会頭は、「歓迎すべきことだ」とまで言っています。
懐疑論のほうが多いのはたしかですが、中国に関税のない自由貿易圏が拡大することは日本の輸出促進につながるとの見方もあるわけです。
TPP加盟国のなかでは、ニュージーランドやシンガポールも中国の参加を歓迎しています。現在TPPには11ヶ国が加盟していますが、中国が加入手続きに入るためにはこの11ヶ国すべての承認が必要となります。現在中国と通商摩擦を抱えているオーストラリアや、領土問題で争っているベトナムが難色を示しそうです。
ちなみに今年2月、英国がTPPへの加盟を申請しましたが、TPPの最高意志決定機関である「TPP委員会」が6月に英国と加盟手続きに関する交渉に入ると発表しました。つまり、加盟申請から11ヶ国の同意を得て、交渉に入る決定が下されるまでに4ヶ月かかったのです。交渉が開始されても、実際の加入が決まるまでにはさらに数ヶ月を要するはずです。ですから中国の場合も、これから数ヶ月かけて11ヶ国が中国との交渉を始めるべきかどうか審議し(結論が出るのは来年になるのではないでしょうか)、かりに11ヶ国すべてが交渉開始を了承したにせよ、それから加盟条件をめぐって、中国との長期間にわたる交渉が控えています。
中国の加盟は容易でないこと、しかしその可能性がなくもないこと分かってきました。しかし中国はなぜいま、正式申請したのでしょう?
いくつかの理由が挙げられます。まずTPPとは、もともと米国のオバマ政権が中国包囲網の形成を企図して推進した経済・安全保障の枠組みです。その米国がトランプ政権時にTPPを離脱し、バイデン政権になっても復帰する見込みがないことがほぼ明らかになりました。中国としては米国不在の「包囲網」を突破するだけでなく、自らが米国に代わる「盟主」となるチャンスを得たと考えたのかもしれません。すでに中国は、米国が未加盟の「地域的な包括的地域連携」(RCEP)の主導国ですが、TPP加入を果たせば、一気にアジア太平洋地域における影響力を強めることができます。「一帯一路」と併せれば、巨大な経済圏を手中に収めることができます。そして、日米主導の「自由で開かれたインド太平洋」構想、日米豪印4ヶ国が形成する「Quad」(クアッド)、そして9月15日に創設された英米豪3ヶ国による「AUKUS」(オーカス)といった対中封じ込め措置に対しても揺さぶりをかけることができるでしょう。このような安全保障上の意味合いも大きいと思われます。
安全保障といえば、日米は台湾海峡情勢に対する危機感も強めていますが、その台湾がTPPへの参加を検討しています。しかし今回中国は、台湾の先を越してしまったわけです。つまり中国は、対台湾政策も視野に収めて加盟申請したのではないかと推測されます。
こうした対外的な面だけでなく、国内的な事情も考えられます。すなわち中国の国営企業は既得権意識が強く、幹部の汚職の温床ともなっています。そして習近平政権の改革路線に対する手強い抵抗勢力を形成しているのです。したがってTPPをいわば「外圧」として利用し、その厳しい加盟条件を国営企業に受入れさせることにより、改革を拒む勢力を切り崩そうとの思惑が習政権にあるとの見方も存在します。
中国のTPP加盟申請に対し、わが国のスタンスはどうあるべきでしょう?
まずは日本を含めた11ヶ国の加盟国が、中国の真意をさぐる必要があるでしょう。そのうえで、中国との交渉に応じるかどうか決めることになります。今年は日本がTPP議長国ですので、責任重大です。日本は中国と加盟交渉を行うべきか否か判断し、それをもとに他の10ヶ国を説得し、合意を形成していくことが求められます。中国の加入をめぐって、TPP加盟国の足並みが乱れ、結束に亀裂が入ることは避けたいところです。加盟を認めるにせよ、拒むにせよ、11ヶ国の団結は重要です。議長国としての日本の力量が試されます。中国による申請は、中国に自由貿易のルールを守らせ、人権問題等でも国際規範を遵守させるための好機でもあります。どれだけ中国側から譲歩を引き出せるか見極めたうえで判断を下す必要もありそうです。
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