かわらじ先生の国際講座~「敵基地攻撃能力」の保有問題

6月半ば、政府が「イージス・アショア」配備計画の停止を発表して以来、「敵基地攻撃能力」の保有をめぐる議論が活発になってきています。安倍首相は6月18日の記者会見で、その保有をめぐる議論を行いたい旨表明しましたし、7月8日には衆院安全保障委員会で議論が行われました。自民党内の検討チームもすでに数次の検討会を開き、この問題に関する政府への提言をまとめているとのことです。政府も今秋から議論を本格化させ、年末までに「国家安全保障戦略」の改定を行い、その中に「敵基地攻撃能力」を位置づける予定のようです。この「敵基地攻撃能力」の保有とは、「イージス・アショア」に代わるものと理解してよいのですか?

「イージス・アショア」配備計画の取りやめが「敵基地攻撃能力」に関する議論を活発化させるきっかけになったのは確かです。しかし現実には順序が逆で、「敵基地攻撃能力」を持つことを優先させなければならない、それゆえに「イージス・アショア」の配備はストップしようということになったとわたしは見ています。

それは具体的にどういうことですか?

軍事には「盾」(防御)と「矛」(攻撃)の2側面がありますが、「イージス・アショア」は敵のミサイルを撃ち落とすだけの「盾」の装備です。それに対し「敵基地攻撃能力」とはその名の通り、敵ミサイルの発射元自体を破壊する「矛」となる能力です。
現在、中国や北朝鮮はミサイルの性能を飛躍的に高め、レーダーをかい潜ったり、途中で軌道を変更させたりするなどして、撃ち落とすことを困難にしています。つまり一度放たれたミサイルを止めることはできない。ならば、発射前に破壊することが最善の防衛策だということです。

そう日本政府が判断したというわけですか?

日本政府がというよりも、アメリカ政府がと言うべきかもしれません。むろん日本国内でもかなり前から「敵基地攻撃能力」を持つことの是非は論じられてきました。1956年の国会答弁の中で、鳩山一郎首相(当時)が、「他に手段がないと認められる限り、誘導弾などの基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」と述べていますし、2003年に石破茂防衛庁長官(当時)も「日本を攻撃する意思表明と準備行為があれば、敵国の基地を攻撃可能だ」との見解を示しました。しかし仮にそれが憲法上許されると見なすにせよ、日本政府は国是として専守防衛に徹し、攻撃能力は持たないとの立場をとってきました。それは日本国民の意思でもあったのですが、そもそもアメリカが、その立場を保持するように日本に求めていたのです。

そのへんをもう少し詳しく説明してもらえますか?

そもそもアメリカは、同盟国であっても強大な攻撃力をもつことを欲していません。攻撃はアメリカの役割であって、同盟国はせいぜいそれをサポートする程度で十分。それがアメリカの基本戦略です。つまりアメリカは徹底したリアリズムの立場から、いつ敵になるとも限らない同盟国の軍事強大化は望んでいないのです。まして日本はかつての(第二次世界大戦における)敵国でしたから、決して警戒心を怠ることはなかったと言っていいでしょう。在日米軍は「矛」、自衛隊は「盾」という役割分担も、アメリカの意思だったと考えられます。

そのアメリカの戦略が近年になって変わったということですか?

はい。特にトランプ政権になってその変化がはっきりしてきました。トランプ氏の最大の関心事はコスト負担の軽減です。トランプ大統領のもとでアメリカは世界問題への関与から徐々に手を引き、第一次世界大戦後のような一種の孤立主義に回帰しつつあります。「アメリカ・ファースト」はその孤立主義の別名と言えます。中東からの米兵の引き上げ計画や、ドイツ駐留米軍の大幅削減案もその表れです。アジア太平洋の米軍も1987年には18.4万人いましたが、2018年には13.1万人まで縮小されています。
ところがここに来て中国が著しく軍事力を増強し、かつてアメリカが大日本帝国から引継いだ極東権益や、東シナ海からインド洋に至る制海権を脅かしています。アメリカとしてはみすみすこれを中国に譲り渡すわけにはゆかない。しかしコスト負担も限界に来ている。となれば、日本の軍事力によって中国の機先を制するという策が浮上するのは理の当然です。

「敵基地攻撃能力」と言うときの「敵」は北朝鮮のことかと思っていましたが、本命は中国なのですか?

そうなります。現に自衛隊は、沖縄を中心とする南西方面の防衛に力を注いでいます。2016年には与那国島に沿岸監視部隊が設けられ、昨年3月には宮古島と奄美大島に駐屯地が新設されました。今年に入ってミサイル部隊が増強され、駐屯地内には地対艦ミサイル「SSM」や中距離地対空ミサイル「中SAM」の発射機など30台以上の車両が並んでいるとのことで、将来的には沖縄本島にも配備されるようです(『朝日新聞』2020年3月23日第1面)。これらのミサイルの飛翔距離を少し伸ばすだけで、中国をターゲットとする「敵基地攻撃能力」を比較的容易に保有することができるわけです。中国の公船が尖閣諸島周辺での活動を活発化させていますが、これはこうした自衛隊の動きと連動していると見ていいでしょう。中国側も自衛隊の行動を牽制しているのです。

とすると、日本政府はアメリカの影響力を脱し、自立した判断のもとに自衛隊に出動命令を出すことになると考えていいのでしょうか?

そうはならないと思います。アメリカもそれは望まないはずです。敵基地を正確に叩くためには、極めて高度のセンサー能力をもつ複数の小型衛星が必要です。その情報なくして攻撃できません。そしてそれを持っているのはアメリカ軍です。つまり自衛隊はアメリカ軍が提供する情報に基づいて行動を起こさざるを得ません。ということは、実質的にミサイル発射のタイミングをはかり、その指示を出せるのはアメリカ側です。ですから「敵基地攻撃能力」の保有とは、自衛隊がアメリカ軍の下請組織になることを意味するとも言い得るのです。ところで、下請け会社が大変なことになっても本社は知らんぷり、ということはありがちな話です。このまま突き進めば、日本がアメリカのために中国と事を起こしても、アメリカは傍観しているだけという未来図がふっとわたしの頭をよぎります。
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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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