4月8日、中国湖北省の武漢は77日ぶりに都市封鎖が解除されました。市民が祝賀ムードで街に繰り出し、中心部の漢口駅は故郷へ帰ろうとする人々でごったがえしている様子がテレビニュースでも報じられていましたが、これをどうご覧になりましたか?
一口で言えば異様な光景です。何かプロパガンダ(政治宣伝)的なものも感じます。この異様さを突き詰めていくと、中国の国家体制そのものの異様さに突き当たるように思います。
具体的に言うとどういうことですか?
新型コロナウイルスの世界的拡大の第一の原因が、中国の初期対応の遅さにあったことは、すでに多くの論者が指摘しています。武漢市内で新型ウイルスの感染者が確認されたのは昨年12月上旬のことでした。市内の医師たちは大変なことが起きていることにすぐ気づき、SNS「微博(ウェイボー)」で情報を共有し、インターネットにも流しました。すると武漢警察は「デマを拡散させている」と8名の医師の身柄を拘束し処罰したのです。ご承知のように8名の内の1人で、真っ先に警鐘を鳴らした李文亮氏(武漢の眼科医)は、自らも感染し、2月7日に34歳で亡くなりました。その後3月5日、中国政府は彼を感染抑制のため尽力した「白衣の戦士」として顕彰しています。グロテスクな話です。
グロテスクとは?
いったんは罪人扱いした医師を、今度は英雄に祭り上げて政治利用しようとする方法があまりに露骨だからです。いずれにせよ、武漢市当局はまず「不都合な真実」を隠蔽しようとしました。のちに騒ぎが大きくなったとき、武漢市の責任者が最初に口にしたのは「中央政府に申し訳ない」という言葉だったそうです。国家の体面にかかわることは隠蔽する。まさに忖度政治です。
もはや隠蔽できないほどに事態が深刻化した1月18日、北京から派遣された専門家チームが武漢の実情を実地に調査し、こうして23日、都市封鎖が行われましたが、遅きに失したというべきで、感染者はすでに世界に広がっていました。「忖度政治」そのものは中国に限りませんが、徹底した情報統制によって危機的事態が中国国内はもとより世界にも伝えられなかったことが最大の問題だったと思います。12月の段階で情報が隠蔽されなかったら、今日のようなパンデミック(世界的大流行)は回避できた可能性があります。
しかし感染の「震源地」である武漢が封鎖を解除され、中国が世界に先がけて危機を脱しつつある現実をどう見ますか?
そこにも中国の国家体制の特殊性が見て取れます。ひとたび武漢を都市封鎖したあとの中国政府の対策は徹底していました。武漢の人口は1100万ですが、同市のみならず湖北省全域の交通が制限され、約1億人の移動が止められた由です。これは日本の人口とほぼ同じ規模です。個々人の外出も禁じられ、買い物はアパートの住民代表が完全装備した上で行い、あとで皆に分配するといった徹底ぶりで、その実態はまだよくわかりませんが、まさに「過酷」の一語だったそうです。日本在住の中国の知人によれば、この厳しさは武漢だけでなく中国の全土に及んでいたようで、彼は日本の対応の甘さを厳しく批判していました。
でもそのようなやり方で、現在の中国は感染拡大の抑制に成功したのですよね?
もし中国の報道を信じれば、成功したと言わざるを得ません。とすると、これはわれわれに大きな課題を突きつけることになります。すなわち、このような人間の生命を脅かす危機に際しては、中国的な政治体制のほうが有効であるということです。
習近平国家主席を頂点とする一党独裁制のもとで、企業や個人を一元的に管理し、住民一人一人の行動を厳しく監視することができる国家は、民主主義体制よりも強靱で、いざというとき頼りになるという印象を世界にもたらすことになるでしょう。自由民主主義のチャンピオンであるアメリカが、いまや世界最大の感染者を出し苦悩している現実を目の当たりにすると、なおのこと中国の統治形態の強さが浮き彫りにされるのです。
新型コロナウイルス禍は一過性のものではありません。2003年にはSARSの世界的蔓延もありました。今後も同じことが起こるかもしれません。それに備えて、強靱な防疫型国家をつくろうとする運動が我が国で起こるかもしれません。いまの中国の国家体制は、自由民主主義に慣れ親しんだ者からすれば明らかに異様です。しかしそれがわれわれにとって異様でなくなる日が来ないともかぎりません。つまるところ、情報の自由をいかに守るか。すべてはこれにかかっていると思います。
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河原地英武<京都産業大学外国語学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。