「カナリア俳壇」18

暑中お見舞い申し上げます。あさっては立秋ですが、まだまだ秋の気配はありませんね。さて、今回もご投句順に講評を述べたいと思います。

△昼寝覚め赤子這ひ来るリビングに     多喜

【評】上五でちょっと切れていますので、赤子とのつながりにやや難があります。それから、「リビングに這って来た」と言われると、では今まで赤ん坊はどこに寝ていたのだろうという疑問がわきます。もっと単純に「昼寝より覚めし赤ん坊這ひ出せり」くらいでどうでしょう。

〇味噌汁の出汁は濃ひめに今朝の秋     多喜

【評】この句は結構です。調べもよく、生活感も出ていますね。ただ、「出汁<は>」というと、味噌は薄めということか、などと気を回したくなりますので、「出汁<を>」のほうがよさそうに感じます。

△今朝の秋仏壇納む新居かな         織美

【評】切れ字「かな」を用いた場合、中七では切れませんので、終止形の「納む」はバツ。連体形の「納むる」にしないといけません。しかしそれでは字余りになってしまいますね。その場合は語順を入れ替え、「仏壇を新居に納む今朝の秋」とすればよいでしょう。

△~〇長き夜に夫が語れり織部焼         織美

【評】だいたい結構です。「長き夜に」の「に」がなんとなく説明的で鬱陶しく感じます。「長き夜の夫が語れり織部焼」のほうがシャープになりませんか。しかし、上五に切れを入れた方がすっきりするかもしれません。「長き夜や夫の語れる織部焼」。

△~〇朝の客手押し車に西瓜のせ      音羽

【評】「朝の客」がいまひとつ曖昧で、よくわかりません。作者のところには「昼の客」や「夜の客」も来るのだろうか、などと考えてしまいます。たとえば「友きたる手押し車に西瓜のせ」とすれば句意が鮮明になります。

△~〇霧晴れて鉄錆匂ふ小海線      音羽

【評】なかなか感覚的な句で、雰囲気は伝わりますが、作者の位置が不明です。もし列車に乗っているのであれば、窓はふつう閉ざしたままなので、鉄錆の匂いが外から入ってくるはずはありません。車中の匂いなら、霧が晴れなくても匂うでしょう。たとえば前書きに「鉄道工事」などとあれば、納得です。それなら作業員の句だとわかります。

△刑場の跡地明くれば蝉時雨       マスオ

【評】「明くれば」がいけません。夜が明ければ、の意味だと思いますが、それならば刑場跡地だけでなく、地域一帯が明けているはずですし、「明くれば」という形も説明的で、間延びしています。刑場の跡地をもっと具体的に写生するとよいでしょう。たとえば「罅割れし刑場跡地蟬しぐれ」など。

△~〇漱石の「門」読み入るや雨季さ中     マスオ

【評】句材はとても面白いと思います。「読み入るや」だと、ある日の一時(いっとき)という感じがしますが、「雨季さ中」というある程度長期にわたっての行為ですので、「読み継げり」でどうでしょう。また、「雨季」ですと、南米や東南アジアなど外国のイメージです。実際、われわれも「まだ雨季だね」と会話のなかで言わない気がします。すなおに「梅雨最中」(「さ」も漢字にしたほうが引き締まります)でどうでしょう。「漱石の「門」読み継げり梅雨最中」くらいがよいかと思います。

△老鶯の鳴き声聞こゆ雨上がり     蓉

【評】「老鶯」といえば夏に鳴いている鶯のことですから、「鳴き声聞こゆ」は蛇足です。もし鳴き声のことを言いたいのであれば、どのような鳴き方か、もっと具体的に描写する必要があります。一例として「老鶯の声四方より雨上がり」。

△~〇ベランダに仰向けでゐる蟬一尾     蓉

【評】生活感のあるよい句ですが、蝉は魚ではないので「一尾」とは言いません。「一匹」ですね。「仰向けでゐる」もややもたついています。作者がどうも蝉は苦手だということであれば、「ベランダに仰向けの蟬如何にせん」などと作るのも面白いかもしれません。

〇夕凪に水脈のきらめく出船かな     徒歩

【評】「夕凪」は難しいですね。きちんと出来た句なのですが、いまひとつインパクトに欠け、印象が定まりません。たとえば、こんな夕凪の使い方でいいのかわかりませんが、「船出づる夕凪の水脈煌めかせ」などと作ると印象がより鮮明になる気がします。

△~〇梅雨の夜や手上げ迎ふる救急車     徒歩

【評】救急車を呼ぶ場面というのはかなり緊迫しているはずです。それなのに、「ああ、梅雨の夜だなあ」と上五で感嘆しているのはいかがなものか。つまり、この状況では「季語+や」は相応しくないように感じます。「両手振り救急車呼ぶ梅雨の夜半」では大袈裟でしょうか。

△~〇蓮の花芯あるものはそよぎ立つ        永河

【評】よく言えば大人の句。ちょっと意地悪く言えば分別臭い句です。上級者になるとこのような人生観を滲ませた作風が増えてきます。しかしこれは上級者がはまる「落とし穴」ではないかと思っています。「芯あるものは」の「ものは」という観念的な表現が問題なのです。この作風を推し進めると、季語は自分の観念なり人生観を述べるための手段もしくは道具と化します。しかしこの世界に同じものは二つとしてありませんし、同じ時間は二度とありません。この「個別・一回性」の精神に徹したところに本来の俳句は成り立つのではないでしょうか。「芯あるものは」と一般化のほうへ転じるのでなく、この「蓮の花」だけに意識を集中してほしいと望みます。でないと俳句は風流な趣味どまりになってしまいます。

△~〇白木槿朝に空気は生れ出づる         永河

【評】評価の難しい句ですね。きのうの汚れが一切ない、まったく新鮮な空気を吸い込んだとき、まさにこの空気はいま生まれたばかりだ、と感じたのですね。十分に共感できます。しかしそのうえで、この表現は知がまさっているように感じ、抵抗をおぼえるのです。「朝に空気は生れ出づる」という一般命題的な提示が観念の産物を思わせるのです。このように主張する手前で踏みとどまるところに俳句の命が宿るような気がします。

△石の猿強き日差しにえごの花      豊喜

【評】「石の猿」がどこに置かれているのか、なんのためにつくられたのか、どのくらいの大きさなのか等々がわかりません。どこかの神社にあるのであれば、前書きが必要でしょう。また「強き日差し」が「石の猿」にかかるのか、それとも「えごの花」にかかるのかも曖昧です。上五が名詞、下五も名詞のいわゆるサンドイッチ俳句はあまりよい形ではありません。「石猿の見上ぐる雲やえごの花」などもう一工夫して下さい(蛇足ながら、例句は孫悟空をイメージしました・・・)。

△~〇浮彫りの仏足石や風薫る      豊喜

【評】吟行句としてはまあまあの出来でしょうか。とりあえずは合格ですが、似た句はたくさんありそうですし、「風薫る」という季語もやや安易かなという印象を受けました。

△~〇下駄音の合ひて見交はす踊かな     妙好

【評】盆踊りのことにはうといので、うまく鑑賞できませんが、自分のうしろの人と下駄の音がうまく合ったので、思わずうしろを振り向き、その人とにっこり笑みを交わした、という情景でしょうか。盆踊りなら、ふつう身振り手振りを合せるので、下駄音が合うのは当然では、との疑問もわきます。それとも、ポンと下駄の音を合わせたあと、お互いに向き合う所作がある盆踊りかもしれませんね。それなら「下駄音を合はせ向き合ふ踊かな」のほうが自然でしょう。

△~〇書を曝すわが青春の傍線部      妙好

【評】学生時代、一生懸命に傍線を引いて読んだ本を日に晒したのですね。ただ、耳で聞いた場合「わが青春のボーセンブ」だと、ボート部?いや、何部に属していたの、という話になりそうです。俳句は耳で聞いても意味がすっと通るように作らなくてはなりません。「青春」という語を用いたい気持ちはわかりますが、そのような語こそ省略すべきです。それは読者に言わせるべき単語なのです。たとえば「傍線の薄れし文庫晒しけり」と作れば、読み手は「ああ、妙好さんの青春時代の愛読書なのですね」と声をかけてくれるはずです。

〇早乙女に射す虹色の光かな     蜩子

【評】句意がとりづらいので、句会ではあまり点が入らないかもしれませんが、わたしはこんな句が好きです。この「虹色」は自然の虹とは違うので季語ではありません。汗だくになって睫毛が濡れると、そこで日光が分解し、虹色になって見えるのです。つまりこの作品は作者が早乙女になりきって、早乙女の目で作っている句です。俳句の妙味は、このように対象に感情移入することにあるのではないでしょうか。

△東雲やかなかなしぐれ盆近し     蜩子

【評】この句はわたしでもちょっと助け船の出しようがありません。「かなかな」も「盆」も代表的な初秋の季語。この季重なりはいただけません。また上五で切れ、中七で切れ、三段切れの句になっています。全面的に作り直してください。

△匂ひ濃き慰問の力士天蓋花      マユミ

【評】「天蓋花」(てんがいばな)は六音ですが、下五をあえて字余りにした効果があるのでしょうか。なんとか5・7・5に収める努力をしましょう。「匂ひの濃き」力士では、体臭の強い力士だともとられかねません。「向日葵や慰問力士の鬢の艶」くらいで、鬢付油の匂いも伝わるでしょう。

△~〇すつと立つ猫の置物木下闇      マユミ

【評】いきなり「すつと立つ」と来ると、今まさに立ち上がったところを連想しますが、これは置物なのですね。ならば、もう少し表現を工夫する必要がありそうです。「置物の猫のまなざし木下闇」「緑陰や猫の置物首かしげ」等々。

△~〇スケボーを試す幼やさくらんぼ     万亀子

【評】 俳人は「幼」(おさな)という語が好きですが、わたしは古臭くて苦手です。現代人なら現代でも通用する「幼子」を用いましょう。まして「スケボー」という現代的な語と取り合せるのですから、古語は不自然です。「スケボーを試す幼子さくらんぼ」。「試す」が幼子にはあまり合いませんので、「スケボーに乗せてもらふ子さくらんぼ」でどうでしょう。季語も本当にこれでいいのか再考の余地があります。

△一気飲みハーフタイムの玉の汗     万亀子

【評】何を「一気飲み」したのでしょう?何の「ハーフタイム」なのでしょう?作者には分かり切ったことでも、初めてこの句を目にする読者にはなかなか伝わらないものです。スポーツでしょうから、水を一気飲みしたことは見当がつきますが。自解によると甥御さんがラクロスをしているとのことですから、まずは「ラクロスの少年汗を滴らす」くらいでいかがでしょう。俳句は一度に多くのことが言えない文芸です。

次は8月27日に掲載の予定です。皆さんの力作をお待ちしております。
河原地英武

「カナリア俳壇」への投句をお待ちしています。
アドレスはefude1005@yahoo.co.jp 投句の仕方についてはこちらをご参照ください。


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