当時の北東部州の州都ガリッサから車で1時間半ぐらい走ったところにある村には毎年行きました。10年間、風景が変わりません。電気もガスも水道もないのです。首都ナイロビなどは近代化されていきますが、ここは政府からの恩恵もなく、半砂漠のままです。タナ川という大きな川があり、その周辺にだけ緑が見られますが、川の水そのものは真茶色です。村に井戸ができるまでは、女性と子どもが毎日歩いて、川まで水を汲みに通っていました。川にはカバとワニが生息していて、井戸ができる直前に結婚前の若い女性がワニの餌食になりました。これも決して珍しい話ではありません。真茶色の水はもちろん不衛生で、体力が弱い子どもの命を奪ってしまいます。ここは人の命が軽んじられている地域なのです。
テロのためにガリッサに行けなくなり、今はルワンダを訪問するようになりました。最初にルワンダに行ったときに、ルワンダ人のドライバーさんから、「ケニアの北東部の人びとはWild Animal(野生動物)のような扱いを受けている」と言われて、とてもショックを受けました。その通りなのです。他の国のアフリカ人も同じように思っているのです。たしかにケニアの北東部の人びとは、政府から、同じ人間としては扱われてきませんでした。野生動物の方が大切にされているかもしれません。
――そのようなお話を聞いても、どこか遠い国のお話のような気がしますが、日本とアフリカにつながりはあるのでしょうか?
例えば「タンタル」という金属があります。コンゴ民主共和国(元ザイール)東部が一大産地なのですが、この輸出が一時期止まった時に、日本の有名メーカーの製品が発売延期になったことがあります。先進国の工業にはなくてはならないレアメタルなのです。そんな貴重なタンタルが自分の村の近くで産出されると経済的な発展が望めそうですが、村の人びとは逆に酷い目にあっています。資源を目当てに反政府勢力が村を襲い、支配地にするために人びとを殺害するか追い出して避難民にしたり、生かして労働者にしてタンタルや金、タングステンを掘らせたり、女性や少女に対する性暴力は日常化していますし、様々な問題を引き起こしているのです。
ベルギー王(レオポルド二世)の私有地時代には、産業革命で車のタイヤのゴムの需要が伸び、天然ゴムの採取という強制労働で多くの人びとが命を奪われました。ベルギーの植民地時代はもちろんのこと、独立後も、「コンゴ動乱」が有名ですが、鉱物資源の利益をめぐる大国の介入で、新しい国作りは滅茶苦茶にされ、その後、西側諸国の傀儡である独裁者に長く統治されます。冷戦終結後、独裁者は追い出されますが、そのあとも「良い統治」は行われていません。天然資源から得られる利益は国民のために使われるべきなのに、先進国の私たちが支払った商品代金の一部が反政府勢力の手元に届き、それで武器が買われて人びとが殺されるという流れがあります。これを断ち切る必要があります。第二次コンゴ戦争の死者は540万人。うち460万人が東部の5つの州の死者です。天然資源がなかったらこんなことにはなりませんでした。