地震から2週間経った月曜は割と普通の月曜に戻ったかのように思われました。
地震から2週間と1日目,「早く元の生活に戻りたいです」と書いた学生に話しかけてみると,もうガスも通ったし大丈夫ですと笑顔で答えてくれました。安心しました。別の学生が「モノレールが通っていなかったので2回分授業を休んでしまいました」と申告しにきました。大丈夫?と聞くと,今は大丈夫ですけどモノレールがアウトになったのはきつかったです…とのことでした。
あちこちの家の屋根瓦のブルーシート,あちこちのブロック塀の付近の「立ち入り禁止」の札とコーンは残っているものの,生活自体は,このまま少しずつ日常に戻っていけばいいなと思っていました。
地震から18日目19日目,大阪北摂地域にも大雨警報,土砂災害警戒情報が発令され,大雨が降りました。
この時も高槻市立保育所は「自宅保育が可能な方はできる限りご自宅での保育をお願いします」とのことではありましたが通常どおり開所してくれました。ただ,高槻市・茨木市とひとくちに言ってもそれなりには広い都市であり,北部は山間部,南側は比較的平地,川から遠い場所も近い場所もあるのですが,緊急速報メールは市内の全部の避難勧告,避難指示,近隣地域警報について配信されるので,緊急速報メールが鳴りまくって,鳴るたびに心臓がどきどきして不安になりました(いま数えたら「避難指示解除」も含めると4日間で緊急速報メールが10通きていて,ほとんどが7月5日と6日の配信でした)。
ここまでくると,もはや何が日常で何が非日常かわからず,自分の家の近辺・自分自身は大丈夫なのか避難の必要があるのか,どこでどのくらいの大雨があるのか,何に気をつけて何を準備しなければいけないのかすらわからないほど感覚が麻痺していました(情報が必要なのは頭ではわかっていましたが,高槻市茨木市の公式ホームページ以外の情報は見たくありませんでした)。ただただ疲れ果てていましたが,しっかりしなければとは思って,気力だけでもっていた感じでした。結果的にいうと,大雨については我が家は大丈夫でした。