宗教2世問題と霊的虐待(番外編)

宗教2世問題について、当事者としての体験も交えながら書いてきました。本日は番外編として、我が家の現状の一部を紹介します。
うちの場合は、祖母が1世です。母は小学生の時に妹と二人だけで暮らすことになり、しかも仕送りも止まってしまいました(年長の姉の嫁ぎ先にお金をもらいに行ったり、近所の畑から食料をもらったりしていたそうです)。祖母が母にしてきたことは、現在の社会であれば児童虐待で、母は児童相談所に保護されるべき状態だったと思います。
しかし母の主観では、「お祖母ちゃんは他の人にはできないことをしてきた立派な人」でした。実際、戦中戦後の大変な中、祖母による奉仕活動で、助けられた人は何人もいたようです。
私は祖母とは会話をしたことがありませんが、母が話す祖母についての言葉は、「立派な人である」という全体像と個別具体の児童虐待行為を語る言葉で、聞かされる私の感想は「支離滅裂やで…」というところでした。スピリチャルな女性のイラスト
母の主張は「お祖母ちゃんは立派な人」、「教団は腐敗している」、「教義は正しい」の3つで、そこに当該教団以外のところで母が聞きかじった伝統仏教の教義らしきものの一部分や、若いころに出入りしていた他の教団や占い師・祈祷師から言われたことが入り混じっていました。安倍元首相銃撃事件以降に報道されていた宗教2世問題に関する研究者の話などを総合すると、2世当事者にはままあることのようです。
父が亡くなったのと、私の学位取得と前任校への就職がほぼ同時で、その時に母は精神的にも身体的にも健康な状態ではなくなっていました。そのため今日まで、私の職場の近くで私と一緒に暮らしています。母の「宗教的主張」を受け入れるつもりの全くない私は、寝ている間以外はできる限り自宅の外で過ごすことで、何とかやってきました。そこにやってきたのがコロナ禍です。
私が子どものころから聞いていた、こういうエピソードがあります。祖母は11人の子どもを産みましたが、娘の1人が乳児期に亡くなりました。信者さんの奥さんが難産で命の危機にあったとき、「自分は子どもがたくさんいるから、この子の命は差し上げます」と祖母が祈り、その方が助かり、娘は死んだというのです。
これは祖母の美談として母や伯母たちの間で語られており、私も聞きました。そしてこの話が、私が当該宗教と祖母の宗教的行動を、全面拒否するきっかけになりました。
コロナ禍で自宅に居ざるを得ない中、母がいつものように「お祖母ちゃんは人には立派なことをしてきた人だから、尊敬しなさい。**教のことも勉強しなさい」と言い出したので、私はついに「自分の娘を呪い殺して、それを平気で自慢している人のことなんか知らん」と言いました。孫とお手玉で遊ぶお婆さんのイラスト
母はキョトンとしたのですが、「あ、あの話…?」とつぶやきました。それからしばらくして、「今と違って、親は子どもを遊郭に売る権利も持っていた時代で、お祖母ちゃんもそういうふうに教育されてきたから」と言いました。まあそう言われると、そうなのかもしれません。
この一件があり、母は諦めたようでした。明治生まれの祖母と私では生きている世界が違いすぎると思ったのでしょう。こうして「お祖母ちゃんを尊敬しなさい攻撃」をかわすことに成功した私ですが、家の中で戦わなくてもよくなると気づいたことがあります。
当時は乳幼児の死亡率は高く、自然に亡くなることは珍しくありませんでした。上記の祖母の「美談」は、子どもを亡くした祖母が、後から作った話だった可能性もあるな…ということです。今となっては確かめるすべもなく、品の良い作り話とも思いませんが、その方が理解可能だとも思います。
祖母が亡くなる数か月前から、母たち姉妹は(11人中男児は1人だけだった)1週間ずつ交代で、祖母の世話をしたそうです。当時、弟がまだ赤ん坊で、祖母の隣に寝かせておいたところ、意識がもうろうとしている祖母が「身体がしんどいでな、この子の守りは、もうようせん、ようせん」と繰り返して、母は大変に困ったそうです。
明治の女性は一般的に、働く息子・娘に代わって、孫の育児はしないといけないと思っているものでした。祖母もまた、そんなお祖母ちゃんのひとりでした。
男性の先生に相談をしている女子生徒のイラストいろいろなことがありましたが、私自身は「普通の社会生活」を送れていますし、不幸なわけでもありません。しかし身近なところに、山上容疑者が置かれていたのと同じような環境にいる人もいます。宗教2世問題というものがあることを、例えば学校の先生が知っていれば、進路選択などの際に、「ここままでは良くないのでは?」と気づいてくれた可能性もあると思います。そうすれば子どもや若者のための支援につながることができ、バランスの取れた宗教との付き合い方ができた可能性があったのかもしれません。
この夏から秋にかけて、私なりに宗教2世問題について学び考え、また自分の親とも向き合いなおすことになりました。

———————————————————
西垣順子<大阪公立大学 高等教育研究開発センター>

滋賀県蒲生郡日野町生まれ、京都で学生時代を過ごす。今は大阪で暮らしているが自宅は日野にある。いずれはそこで「(寺じゃないけど)てらこや」をやろうと模索中。老若男女、多様な背景をもつ人たちが、互いに互いのことを知っていきながら笑ったり泣いたり、時には怒ったりして、いろんなことを一緒に学びたいと思っている。著書に「本当は怖い自民党改憲草案(法律文化社)」「大学評価と青年の発達保障(晃洋書房)」(いずれも共著)など。


Warning: Use of undefined constant php - assumed 'php' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/canaria-club/www/wp-content/themes/mh-magazine-lite/content-single.php on line 21

Warning: Use of undefined constant php - assumed 'php' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/canaria-club/www/wp-content/themes/mh-magazine-lite/content-single.php on line 30