かわらじ先生の国際講座~「漂流」する英国

7月7日、英国のジョンソン首相が辞意を表明しました。 コロナ禍のなかで国民に厳しい行動規制を強いながら、自らは首相官邸で酒宴を繰り返すなどのスキャンダルが発覚しても言い逃れに終始したり、先月には要職にある与党有力議員が性的事件を起こし、その任命責任が問われたりと、ごたごた続きでしたが、しまいには首相に愛想をつかした閣僚たちが続々と辞任を表明したため、 あくまで権力の座にとどまろうとしたジョンソン氏も、ついに力尽きたという感じでした。 首相の辞意表明は、彼個人の問題が招いた結果とみてよいでしょうか?

直接的な理由としては、そのとおりだと思います。 首相としてあるまじき軽はずみな行為や失言・暴言の数々(そのなかにはイスラム教徒の女性を愚弄する言動も含まれます)、次々と繰り出される言い逃れや責任回避、そしてマスコミによって暴かれた虚偽発言など、国民軽視の姿勢によって民心が離れて行ったことが大きな要因でしょう。 政府与党の身内の政治家ですら庇いきれなくなっていました。
しかしジョンソン氏は当初から奇矯な行動や発言で有名でしたし、毀誉褒貶、相半ばする人物でした。 その破天荒な性格を嫌う人もいれば、それを愛敬とみて熱烈に支持する国民も多かったのです。 そして何より行動力があり、目標のために辣腕をふるう強さをもっていました。 特に彼が本領を発揮したのは外交政策でした。

たとえばどのような政策でしょう?

2020年初頭のEU離脱は、ジョンソン氏のイニシアチブがなければ難しかったでしょう。 彼は議会を閉鎖し、反離脱派の動きを封じるという憲法違反まがいの手を使いながら離脱を決定づけたのです。 EU離脱後は「グローバル・ブリテン」(世界の英国)をスローガンに掲げ、欧州からアジア太平洋へと外交の舵を切り替えました。 ご承知のようにTPPへの加盟を申請し、対中国封じ込め戦略の一翼を担うべく、米国やオーストラリアとともに「AUKUS」という軍事同盟も結成しました。 昨年9月には最新鋭空母「クィーン・エリザベス」が日本に寄港し、自衛隊や米軍と合同演習を行うなど、「日英新時代」の到来を印象付けたことも記憶に新しいでしょう。

ウクライナへの軍事支援も熱心だと聞きましたが、どうですか?

そのとおりです。 英国の対ウクライナ軍事支援は米国に次いで多く、先月末にも10億ポンド(約1660億円)の追加軍事支援を行うと発表しました。 これにより英国のウクライナへの支援は総額23億ポンド(約3800億円)となります。 人的な面での支援も積極的で、今月9日から英国内でウクライナ人兵士に対する軍事訓練を開始しました。 今後数ヶ月間で最大1万人のウクライナ兵に訓練を施す計画だそうです。
ジョンソン首相は4月と6月の2度、ウクライナの首都キーウを訪問し、ゼレンスキー政権を物心両面で支えています。 ウクライナ政府にとっては最も頼りになる欧州の「助っ人」だと言っていいでしょう。 それゆえゼレンスキー大統領は、ジョンソン首相の辞意に遺憾の意を表明しましたし、逆にロシア政府はこれを歓迎する趣旨のコメントを出しています。

とすると、首相交代により英国の対外路線も変わり得るということですか?

新たな政府がより内向きの政策に転じる可能性は否定できません。 首相辞任が、彼個人の「不徳」によるところ大だとはいえ、その背景にはもっと深刻な国内事情があるためです。 すなわち、コロナ禍による景気低迷に加え、対ロシア経済制裁で、イギリスも物価高と燃料費の高騰に見舞われ、苦境に立たされています。 5月のインフレ上昇率は40年ぶりの高水準で、資材不足その他諸々の要因も災いし、倒産する会社や店舗も少なくありません。 たとえば、英国と言えばパブ(居酒屋)が有名ですが、この上半期だけですでに200軒のパブが店を畳んだそうです。 EU離脱後、移民の流入を制限したことにより、労働力不足が生じるという弊害もあらわれています。
こう考えると、国民の関心は外交よりも身近な生活に向けられ、政府もそれに対応した政策にシフトせざるを得なくなっていると言えるでしょう。 ジョンソン政権の退陣を促した要因には、こうした内政事情もあるものと推測されます。

ジョンソン首相の辞任にとどまらず、保守党政権そのものの存続も危ういということでしょうか?

保守党は2010年以来、12年間にわたり政権を担ってきました。 国民は保守党政権にそろそろ飽きてきているとも言われます。 前回の総選挙は3年前の2019年でしたが、そのときはジョンソン首相の人気も手伝って保守党が第1党を維持しました。 しかし5月5日に行われた統一地方選挙では、保守党が大敗を喫しました。 大きく議席数を増やしたのは自由民主党と緑の党で、最大野党の労働党は全体の議席数の伸びこそ大きくなかったものの、これまで保守党の地盤と言われた地区で勝利を収めました。 保守党の退潮は明らかです。

ポスト・ジョンソン政権の行方を占ってもらえますか?

ジョンソン氏の辞意を受け、今週中に新たな党首選の日程が発表されるとのことです。 今のところウォレス国防相、トラス外相、そして先日辞任したスナク前財務相など10名前後が有力候補とされています。 新党首が決まるのは9月~10月と見られ、それまではジョンソン氏が首相の座にとどまる意向を示しています。 直ちに辞任し、副首相を首相代行とすべしとの声もあるようですが、ジョンソン首相には離任の意志は見えません。 これを国民がどう受け止めるか、何とも言えません。 世論調査によれば、ウクライナ支援を主導してきたウォレス国防相が次期党首として一番人気とか。 ただし保守党支持者の間ではという条件付きでしょうから、これを民意と見なすことはできません。
英国では2024年までに次の総選挙が行われることになっています。 そのときまでに保守党は政権を担い得る党としての建て直しを図る必要があるでしょう。 生活重視を求める国民の意に沿うためには、ウクライナへの支援(復興支援も含め)は縮小せざるを得ないと思いますし、EUとの協調も必要になってくるでしょう。 ロシアや中国を仮想敵視する対外姿勢も見直されるかもしれません。 AUKUSの結束にも揺らぎが生じる可能性もあります。
ジョンソン時代の対外的積極策が後退した場合、それが世界情勢や日本の安全保障政策にいかなる影響を及ぼすのか注目したいところです。 2024年までに予定されている次期総選挙で、保守党が政権にとどまれるかどうか。 それはジョンソン氏の次の首相の力量にかかっています。

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河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもある。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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