明日(11月12日)は、孤立出産で双子を死産した女性の控訴審初公判

7月8日に「孤立や貧困の犯罪化」というタイトルで紹介した、ベトナム人技能実習生のリンさんの件です。彼女は妊娠したことを誰にも言えないまま、一人で双子を出産しましたが死産でした。彼女は彼女ができる最大の方法で子どもたちを弔ったのですが、日本の司法はそれを死体遺棄とみなしました。7月8日の記事を書いた後、残念ながらリンさんには有罪判決が下されました。彼女は控訴し、その初公判が開かれます。


詳細は上記のtwitterからリンク先を読んでいただきたいのですが、法を犯したからではなく「国民の一般的な宗教的感情を害した」から有罪というのは、首をかしげます。
裁判所には次こそ、予期せぬ妊娠の責任が女性に過剰に押し付けられる現状等を理解した公正な判決を望みたいですが、
この機に「子どもが生まれること」の意味を改めて考えたいとも思いました。
まずは意識の問題。子どもたちはそれぞれが、それぞれの背景を背負って生まれてきます。そんなことは関係なく、すべての命が平等に尊いと思います(日本国憲法でいう法の下の平等etc.です)。そしてそうであるなら、すべての妊婦も尊ばれるべきではないでしょうか。例えば、「経済力のある健康な日本人同士の婚姻関係にある男女」という条件の下での妊娠しか祝福されないなら、それはすべての命が尊ばれることにはならないように思います。予期せぬ妊娠をした女性に対する冷たい対応は、日本の社会問題と言えるのではないでしょうか。


そして制度の問題。予期せぬ妊娠をした女性たちを支援する制度や組織が十分ではなく、また情報提供も不十分です。緊急避妊薬も諸外国と比べて利用のハードルが高く、中絶も難しいです。


リンさんが罪に問われているこの事件は、①予期せぬ妊娠の責任を女性だけに過剰に押し付ける風潮、②特定の条件下での妊娠・出産のみを歓迎する基本的な差別意識、③妊娠をめぐる女性の意思決定権が弱いという社会制度の不十分さ、④外国人の人権に対する意識の低さという日本社会の問題が凝縮されているように思います。
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西垣順子<大阪市立大学 大学教育研究センター>
滋賀県蒲生郡日野町生まれ、京都で学生時代を過ごす。今は大阪で暮らしているが自宅は日野にある。いずれはそこで「(寺じゃないけど)てらこや」をやろうと模索中。老若男女、多様な背景をもつ人たちが、互いに互いのことを知っていきながら笑ったり泣いたり、時には怒ったりして、いろんなことを一緒に学びたいと思っている。著書に「本当は怖い自民党改憲草案(法律文化社)」「大学評価と青年の発達保障(晃洋書房)」(いずれも共著)など。


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