かわらじ先生の国際講座~日露関係は「政経分離」で

9月2日~4日、ロシア極東の都市ウラジオストクで「東方経済フォーラム」が開かれました。ロシア政府が主催し、極東への投資を呼び込む目的で、毎年開かれている国際会議です(ただし昨年は新型コロナウイルス禍のため中止)。

今回はプーチン大統領が演説のなかで、北方領土(ロシアでは南クリル諸島と呼称)に外資を誘致するための特区を創設すると表明しました。同地域に進出する企業に対し、10年間は法人税、付加価値税、資産税、運輸税、土地税などを免除するという「前例のない優遇」(プーチン氏の言)で、ロシアだけでなく日本を含めた外国の企業も利用できる由。今年末から実施するそうです。
プーチン大統領はこのスピーチで日本の名を3回挙げ、わが国に対し異例ともいえる呼びかけを行いました。他方、日本側は菅首相が出席を見送りました。オンラインによる参加や、ビデオメッセージの送付もしませんでした。2016年から4年続けて安倍前首相が参加したこととは大違いです。菅首相の欠席理由は何でしょう?

加藤官房長官は9月2日の記者会見で「首相の日程を含めて、総合的に勘案した結果、参加しない。ロシア側からも招待は受けていない」と述べています。ただしロシア側の報道官は、「これはすべての地域のリーダーに開かれたフォーラムであり、日本に特別の招待状は出さなかった」と説明しています。ちなみに中国の習近平国家主席は、ロシアからの招待を受け、開会式に北京からテレビ会議形式でスピーチを行いました。
おそらく菅首相欠席の真相としては、ロシアが一方的に北方領土の特区化を進め、ロシアの実効支配を強化することへの日本政府側の反発があったものと思われます。また菅首相自身も、安倍前政権の対露政策を「ロシアに金を取られるだけ。経産省路線は失敗」と見なしており、ロシアとの関係進展にもともと消極的であることも理由の一つでしょう(『朝日新聞』2021年9月8日)。

もうロシアは、北方領土問題で日本に歩み寄るつもりはないのでしょうか?

今回の特区案は、それを明らかにしたといえます。プーチン氏がスピーチのなかで日本に3度言及したように、わが国の経済協力を切実に欲しているのはたしかでしょう。しかしこの特区は、ロシアの法令を前提としています。安倍前政権との間でも、北方領土における経済協力が約束されましたが、その時は、四島の主権を主張する日本の立場を損なわないよう、ロシアの法律とは別個の法体制を適用すべく模索されてきたのです。今回の特区案は、その努力をご破算にして、ロシアの国内法で進めることを明確に打ち出したわけです。これ以外にも、領土に関しては妥協の意図がないことをロシア側はたびたび示しています。

たとえばどんなことでしょう?

ロシアでは昨年(2020年)7月に憲法が改正されましたが、領土割譲を禁ずる条項が盛り込まれたこともその一つです。また、ロシアにとって対日戦終結の日にあたる9月3日、北方領土を管轄するサハリン州では「対日戦勝」行事が行われ、軍事パレードも実施されました。択捉、国後、色丹でも追悼式典が開かれたそうですが、これらを自国領とする強固な意志が伝わってきます(『読売新聞』2021年9月4日夕刊)。さらに9月8日には、北方領土を含むクリル諸島で、500人規模の軍事演習を開始したとロシア軍が発表しました。戦車などによる実弾演習も行われ、防衛能力を誇示する構えのようです(『読売新聞』2021年9月9日)。
9月17日~19日にはロシア全土で下院選挙が行われます。プーチン政権にとっては2024年の大統領選をにらんだ大事な選挙で、与党「統一ロシア」の勝利が絶対条件です。経済の低迷が続き、政権への不満を強めているロシア極東部の人々をつなぎとめるには、それなりの見返りを与える必要があります。実は、北方領土における経済特区案は、この選挙対策という側面もあるのです。領土に関しては日本に対し毅然とした態度をとりつつ、外資は導入してロシア極東部の経済のテコ入れを図る、というのが選挙で勝つために立てたプーチン政権の戦略なのでしょう。プーチン氏は先のスピーチで「日本を含めた外国の企業」の参加を呼びかけていますから、日本側が応じなければ中国や韓国などの企業を北方領土に呼び込む心づもりだと考えられます。

とすると、領土問題で譲れない日本は、ロシアが提供するビジネスチャンスを逃してしまうことになりませんか?

そこが政府与党のおもしろいところですが、表向きはロシアに対し冷ややかな態度をとりつつ(菅首相の東方経済フォーラム欠席など)、経済的な結びつきはしっかり維持しているのです。悪く言えば節操がない、よく言えば柔軟性がある、ということになるのでしょうが、自民党の強みはこの曖昧さにあるのかもしれません。
具体的に言いますと、9月2日のビジネスセッションで、梶山弘志経産相とロシアのエネルギー相がテレビ会議を行い、「持続可能なエネルギー分野での協力に関する日露共同声明」に署名しているのです。経産相は他のロシア企業とも合意する予定だとのことです。さらにロシアNIS貿易会会長の飯島彰己氏(三井物産顧問)や経団連日本ロシア経済委員会委員長の國分文也氏(丸紅会長)なども東方経済フォーラムに参加し、報告を行うなど、ロシアとの協力に意欲的に取り組んでいるのが実状なのです。


領土問題では日露双方、妥協するのが困難な状況です。であれば、日露関係は「政経分離」の形で進めるほかありません。領土という政治問題はこれからも平行線をたどりながら、なかなか出口の見えない交渉を続けざるを得ないでしょう。その一方で、両国に実利をもたらす経済関係は推し進める。それが今日の日露関係にとって現実的なのではなかろうかと考えます。
————————————
河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもある。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


Warning: Use of undefined constant php - assumed 'php' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/canaria-club/www/wp-content/themes/mh-magazine-lite/content-single.php on line 21

Warning: Use of undefined constant php - assumed 'php' (this will throw an Error in a future version of PHP) in /home/canaria-club/www/wp-content/themes/mh-magazine-lite/content-single.php on line 30