かわらじ先生の国際講座~菅首相の訪米と共同声明

日米首脳会談のため菅首相が4月15日から18日までアメリカを訪問しました。新型コロナウイルスが猛威を振るい、14日には政府分科会の尾身会長が衆議院の委員会で「第4波と言って差し支えない」と危機感をあらわにしました。このように大変な時期に、あえて首相が訪米する必要はあったのでしょうか?

テレビ電話やオンラインの形で首脳会談を行うことは十分に可能でした。それでもアメリカに赴き、バイデン大統領と直に会うことが重要だと判断したのでしょう。現に日米首脳会談は国内外でトップニュースとして報じられましたし、反響も大きかったように思われます。オンライン会談であれば、これほどのニュースバリューはなかったはずです。会談は全部で2時間半(通訳の時間を差し引けば実質はその半分)、コロナ禍の状況に鑑みて食事会その他のイベントは一切無しという簡素で実務的なものでしたから、やはり二人が直接会い、その親密さをアピールするということ自体に第一義的な意義があったのでしょう。

それは菅首相にとってどんなメリットがあったのですか?またバイデン大統領にとってはどうだったのでしょう?

ご存じのように菅政権の支持率は36%前後と低迷しています。コロナ対策の失敗により早期退陣を予測する向きもあります。しかし首相はそう簡単に政権を手放すつもりはないようです。訪米中、菅氏は自民党総裁2期目を目指すかどうかを記者団に問われ、「(バイデン米大統領は)一緒にやりたい人だという思いをものすごく強く持っている」と答え、首相続投への意欲を示しました(『読売新聞』2021年4月18日)。
今後のスケジュールとしては、7月23日から9月5日にかけて東京五輪・パラリンピック、9月30日に自民党総裁の任期満了、10月21日に衆議院議員の任期満了となります。しかし与党内では、9月に衆議院を解散して衆議院選挙を行い、そのあと自民党総裁選を行うという筋書きも考えられていると言われます。すなわち7月下旬から9月上旬に五輪・パラリンピックを成功裏に行い、その頃までにワクチン接種も進捗させ、これらを追い風として衆議院選挙で自民党の勝利を導き、そのうえで管氏が自民党総裁と首相を続投するというシナリオが描かれているというのです(前掲『読売新聞』記事)。今回の訪米は、菅首相にとってこの「勝利への道」の出発点に位置付けられるわけです。
他方、バイデン氏としては、自由民主主義陣営の同盟強化を進めるうえで、まずは日本との結束をアピールすることが最も成功率が高いと踏んだのでしょう(EU諸国とは貿易問題などで紛糾するおそれがあります)。また中国に対して弱腰だとのイメージがつきまとう大統領にとって、日本とともに中国への毅然たるスタンスを示すよい機会だとの計算もあったのでしょう。

たしかに今回の首脳会談では中国を名指しして、かなり厳しい声明が出されました。これは日本外交を縛ることにならないでしょうか?

日米首脳共同声明では「両国は、東シナ海におけるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対する。日米両国は、南シナ海における、中国の不法な海洋権益に関する主張及び活動への反対を改めて表明する」。「日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す。日米両国は、香港及び新疆ウイグル自治区における人権状況への深刻な懸念を共有する」という文言が目を引きます。日米首脳会談の中心テーマは、中国に対し日米の一枚岩的団結を誇示することだったといっても過言ではないと思います。そのなかでも台湾への言及が特に注目されます。

それはなぜですか?

台湾が日米首脳間の文書に明記されたのは、1969年に発表された佐藤栄作首相とニクソン大統領による共同声明以来、何と52年ぶりのことなのです。しかもこれは日中が国交を正常化する前のことでした。中国政府は一貫して台湾を中国の一部であると主張し、「一つの中国」論を堅持してきました。日本は「引越しできない隣人」である中国に対し細心の配慮を示し、中国にとって原則的問題である台湾に関してはアメリカと異なり、極力政治問題化しないようにしてきたのです。ですから菅首相はいわばこのタブーを破ったということになります。

これはアメリカの要求に日本側が屈した結果だとみていいのですか?

アメリカが主導したのはたしかでしょう。3月にアメリカの上院公聴会で、インド太平洋軍のデービッドソン司令官が「6年以内に中国が台湾を侵攻する可能性がある」と証言したことはわが国でも報じられたとおりです。アメリカは「台湾有事」を現実的問題として神経を尖らせ、それに対処すべく、自衛隊の協力を求めています。同月、日本で開かれた外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)でも「台湾海峡の平和と安定の重要性」が強調されました。それが今回、首脳レベルでも確認されたわけです。台湾は尖閣諸島と違い、自国防衛の範疇には入りません。それにコミットするのは集団的自衛権の行使に他なりませんが、リスクは甚大でしょう。菅政権はそのリスクを承知のうえで、台湾問題への関与に舵を切ったといえます。ただ、これをアメリカの要求にNOと言えなかったという受け身的な理由で説明していいのかどうか、わたしは疑っています。

どういうことですか?

菅首相が訪米している最中の17日の午後、「親台湾派」として知られる岸防衛大臣が与那国島に入り、自衛隊部隊を視察したのです。その際岸大臣は記者団に対し「台湾は基本価値を共有する大切な友人だ。台湾の平和と安定は、地域、国際社会の平和と繁栄にも結びつく」と語りました。このタイミングで防衛大臣が台湾の至近距離に赴く必然性はなかったはずです。まさに中国を挑発するかのような行為でしたが、むろんこれは菅首相も承知のうえです。というより、むしろわたしはここに菅首相の意志を感じ取りました。

その点をもう少し詳しく説明してもらえませんか?

安倍前政権には曲がりなりにも独自の外交路線がありました。北方領土問題で譲歩してでもロシアのプーチン政権と緊密な関係を築こうとしたり、アメリカの意向とは別個に中国の習近平国家主席を国賓として招こうとしたりといった政策です。しかし菅首相には目指すべき外交目標や理念が見えないのです。
失礼な言い方になりますが、彼には理念と呼べるものが何もないのではないかとわたしは疑っています。菅首相は「国民のために働く内閣」をスローガンとして掲げ、政治ポスターにもすり込みました。正直なところわたしは愕然としました。まったくナンセンスな標語だからです。管氏は政治における虚無主義者だと思いました。空疎なのです。権力の獲得と維持そのものが目的であるマキャベリストなのでしょう。
日本学術会議の任命拒否問題でも同じことを感じました。学術問題などには関心がないのです。あの問題の本質は、「反知性的ポピュリズム」を煽り、リベラル派に「反日」のレッテルを貼りたがる右派的な世論を味方につけることだったとわたしは見ています。
そして政権への支持率が低迷している現在、わが国に広がる「反中」的機運に乗じ、中国の圧力に屈しない政治家として民心を得ようとの策に出たのではないかと推測します。

中国政府は日米首脳会談や共同声明の中身を激しく批判していますが、それは菅首相にとって織り込み済みだということでしょうか?

はい。たとえば『月刊Hanada』や『月刊Will』といった論壇誌における反中・嫌韓的な論調を支持する層を取り込みつつ、政権浮上策を企図しているように感じられるのです。それが日本の外交にとって中・長期的にどのような意味をもつかというビジョンに基づくのではなく、権力の維持そのものを目的としているとすれば怖いことですが、その怖いことを行っているのが菅政権であるとわたしは見ています。

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河原地英武<京都産業大学国際関係学部教授>
東京外国語大学ロシア語学科卒。同大学院修士課程修了。専門分野はロシア政治、安全保障問題、国際関係論。俳人協会会員でもあり、東海学園大学では俳句創作を担当。俳句誌「伊吹嶺」主宰。


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