Weekend Review~「太郎物語」高校編・大学編

この2つの小説は、著者 曽野綾子の一人息子・三浦太郎をモデルにした内容で、飄々とした太郎少年の、しかし鋭く、やさしく、時に情熱的でちょっと冷めた思考と斜め目線で過ごす高校生活、そして大学生活の様を、著者らしい感性で描かれています。私はこの本でブリヤ・サヴァランというフランス人の名を知り、「美味礼賛」という書物も知りました。今もこれらの名前を見聞きするとすぐに太郎物語が浮かびます。太郎物語には(私にとって)名言が多いのですが、たとえば大学編で、入学後に一人暮らしをする太郎が東京の母親に電話をかけるところがあります。珍しい電話に母親は、その大学に入ったことを後悔しているのか?と尋ね、太郎はそんなことはないと返します。それに対して学校が合わないなら帰って出直してもいいと言います。自分は固定観念が嫌いだ、人間は間違える。間違えたらあっさりと兜を脱いで出直したらいい。生きていく方法は何でもあるからねということを話すのです。ここ最近、自ら命を絶った芸能人が続きましたが、この本で救われたかもしれないと思う個所はいくつもあります。

ちなみに小説の太郎が文化人類学者を目指すべく高校、大学時代を過ごしますが、実在の太郎氏も文化人類学者として大学で教鞭をとっておられるようです(byウィキペディア調べ)。

私が読んだ曽野綾子の作品は実はこの「太郎物語」だけです。その後、彼女が媒体で物議をかもしだす様々な発言については深く知りませんが、一つだけ、彼女のコメントで非常に印象に残っていることがあります。それは人が意見対立し、それぞれが自分の言い分、意見を通そうと論争されるような場面を見ると思い出される文章です。

みなさんはご記憶にあるでしょうか。1987年、歌手のアグネス・チャンが子連れでテレビ番組の収録に来たことに作家の林真理子などが批判し大論争になった「アグネス論争」を。仕事を持つ女性の立場が注目されるきっかけにもなった出来事です。アグネスは国会の調査会に参考人として呼ばれたほどで、そこでの彼女の発言も今でいえば炎上しました。この論争のまとめとして、対抗の林真理子は曽野綾子の一文を引き合いに出して「大人の女」で締めくくります。それは太郎物語を読んでいれば、即座に納得できるものでした。私は太郎なら言いそうだなあとも思いました。

アグネスが以前に訪れたエチオピアの難民キャンプについて、『私が出会った人はみんないい人たちばっかりだった。それなのに曽野綾子さんは(キャンプ地の人々が)無表情で感謝の心がないと書いたがいったい何をみてきたのか』という指摘をした文章。対して曽野綾子は「私が外国の紀行文を書く時のルールはたった一つです。それはある日、私がそこにいた時、こうだった、と書くだけです。・・・・・あなたは私の書いたものが自分の見聞きしたものと違うと非難しておいでですが、僅かな時の差、運命に似て出会う人々が違うこと、それを見る人の心や眼やそれらすべてが違うのですから、見えるものが違うのも当然でしょう。・・・・・しかし、どこそこの人は皆いい人ですという式の言い分はあなたがおっしゃる分には少しもかまわないのですが、大人は少し困ります。そういうことはこの世にないからです」。

一青年の青春を描いた太郎物語は、私に人の解釈と容認(受容)について深く考えるきっかけを、書籍でも、著者からも与えられたと思っています。(ふるさとかえる)


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