「生産性」をめぐって

自民党の杉田水脈氏の発言が問題になってから1ヶ月以上経ちました。最初のニュースはこれでしょうか。

ごく最近の情報だと,LGBTの子どもをもつ母親たちが自民党に署名を提出したそうです。

ややこしくなっているのは,子どもをもつもたないという観点と,LGBTの話が同時進行で進んでいることだろうと思います。

ところで,「コトバンク」によると生産性とは「生産のために投入される労働・資本などの生産要素が生産に貢献する程度。生産量を生産要素の投入量で割った値で表す」もの,「Wikipedia」によると生産性とは「経済学で生産活動に対する生産要素(労働・資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のこと」だそうです。

では「生産」とはなんでしょう。「コトバンク」によると生産とは,かなり多様な意味があるようですが,大辞林の定義によると「生活に必要な品物を作り出すこと」が代表的な意味でしょう。

要するに生産性とは「生活に必要な品物を作り出すための効率の程度」といったところでしょうか。ということで,「子どもをもつこと」と「生産性」はイコールではないのです。大事な観点なのでもう1度書きます。「子どもをもつことと生産性はイコールではない」

その観点から,私自身が,気になったネット上の記事や反応をいくつか紹介し,特に印象に残った部分を引用します。

(引用)「たとえばこの子が立派に社会で活躍しないとしても、私はこの子を愛するし、責任を持って育てていくつもりです」。

(引用)「生まれてからずーっと生産性が高くいられる人なんて一人もいない。勝ち続けられる人はほんの一握りだ。そしてそんな「生産性が高くないと生きる価値がない」という思想を内面化していると、何が起きるか。自分の思う「生産性が高い自分」でいられなくなった時、自殺という形で自らを殺してしまうかもしれない」

(引用)「個々人の望む自己実現ができることこそ生産性」

(引用)「ただ生まれたことがすばらしい」

私自身,一児の母ですが,別に生産性のためにこの子を産んだわけではありません。また,この子がいわゆる“生産性の高い”子に育たなくてもいいと思っています。いや,むしろ,生産性の高い子に育ってほしくありません。また,生産性の高いことを良いことと思う人に育ってほしくはありません。息子が生きていること,それだけでいいです。どんな人間に育ってもかまいません(自分自身と他者を大切にする人間ならば)。息子が選んだ進路が,結果として世の中の生産性を高めることになるならそれでもよいです。生産性とは「生活に必要な品物を作り出すための効率の程度」です。生きている人は,生活に必要なものを,何らかのかたちで作り出しています。重い病気等で生活に必要なものを作りだせない人も,ただそこにいるだけで,他の人の生産性をあげているかもしれません。私がそうです。息子が生きていることで,私の生産性は高まっています…仕事をすることに勇気と元気をもらっています。個々の人間が生きているということそのものが十分生産的ではないでしょうか。

親バカですが,息子の生産物を披露します。「りロん」(発音は「りろん」)だそうです。


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